横浜FC

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

 

背番号7が走り出す。

それだけで、何かが起こりそうな期待感がスタジアム中に充満する。

 

山下諒也。

 

165cm、54kgの小柄なアタッカーの最大の武器は、誰もが一目でわかる爆発的なスピードだ。

 

2022シーズンに東京ヴェルディから加入すると、試合の流れを変えるジョーカーとして不可欠な存在となった。

 

大分トリニータとのアウェイ戦では、スパイクが脱げた状態でシュートを打つ“靴下ゴール”で大きな話題を呼んだ。

 

J1昇格の立役者の1人となったのは間違いない。だが、山下は今の立ち位置に満足しているわけではない。

 

「もっと試合に出たい」

「もっと結果を残したい」

「もっとチームを勝たせたい」

 

フットボーラーとしての飽くなき欲望が、この男を突き動かす。

 

 

 

世界のスーパースターとの出会い

 

1997年10月19日。

静岡県磐田市で山下は生まれた。

 

父と母はともにバレーボールの国体選手と、スポーツ一家の血筋を受け継いだ山下は、物心ついた頃から足の速さを自覚していたという。

 

 

初めてボールを蹴り始めたきっかけは、近くで開講されていた日系ブラジル人のマリオ安光が主催するマリオフットサルクラブに顔を出したこと。

 

「やってみたらすごく楽しくて、そこから続けていました。本格的にサッカースクールに通い始めるまでは、フットサルでボールのもらい方や、相手の嫌なことをし続けることを教わりましたね。ボールを蹴り始めたのは、マリオさんのおかげと言っても過言ではないです」

 

楽しいと思ったことに積極的に取り組んだ少年は、並行してソフトボールや水泳にも勤しみ、小学3年生でジュビロ磐田のスクールに通い始めた。

 

「ソフトボールでは打つのはほぼバントでしたね(笑)。塁に出たら、盗塁、盗塁、盗塁。小学6年生まではフットサルも続けて、サッカーの試合を休んで、フットサルに行くこともありました」

 

 

 

器用で活発な山下が、プロサッカー選手を目指し、競技を一本に絞る転機となったのが、マリオフットサルクラブから声をかけられて参加した、ブラジル遠征だった。

 

目的地は、ブラジルの名門クラブ・サントス。目の前でプレーを見ることができたのは、のちにセレソンの10番を背負う、ネイマールだった。

 

「クラブハウスのなかで、隣の席で一緒にご飯とかも食べたんですよ。その時に、サッカーを楽しみながらプレーしている姿を見て『かっこいいな』って」

 

世界で活躍するスーパースターに感化された山下は、ジュビロ磐田ジュニアユースのセレクションを受け、プロサッカー選手への道を歩み始めた。

 

 

高卒トップ昇格を逃して

 

幼少期から現在に至るまで、足の速さは山下の突出した能力のひとつではあるが、“スピードスター”や“ドリブラー”という肩書きは、少し物足りない。

 

冒頭の“靴下ゴール”も含め、観客をあっと驚かせるプレーこそが、山下の最大の真骨頂だ。

 

「ユースのコーチにずっと言われていたんです。『普通の選手になるな』『普通のプレーを選択するな』と。それが今にも繋がっていると思うし、誰もが考えるようなプレーをしているようじゃ、その場の試合の流れを大きく変えることはできないので」

 

 

 

ジュニアユースからユースへと昇格した山下は、高卒でのトップ昇格を目指し、プレーを磨き続けた。しかし、そんな山下の行く手を阻む存在が現れた。

 

 

全国高校サッカー選手権大会の注目選手としてスポットライトを浴びていた、桐光学園の9番・小川航基だ。

 

 

「個人的にはトップに上がれると思っていたんですけど、航基がジュビロに加入したので、その時点で無理だろうと思いました。FWの枠は埋まったなと」

 

 

その予想は的中。高校3年生の冬、山下はトップ昇格を逃した。

 

「自分たちが住んでいた寮に航基が入るために、荷物を運んだりもしたんですよ。目の前にして、テレビに出てる人を見る感覚でした。悔しさと憧れの一歩手前みたいな感情が入り混じっていましたね。航基は全く覚えていなかったみたいですけど(笑)」

 

複雑な思いを胸に、山下は生まれ育った磐田を離れ、日本体育大学への進学を決めた。

 

 

 

 

 

入学した年の2016年、最高学年に高井和馬と高野遼選手(現ジュビロ磐田)、2つ上の先輩にはンドカ・ボニフェイスを擁し、昇格したばかりの関東大学サッカー1部リーグでその強さを発揮していた。

 

「『絶対プロになってやる』という気持ちでしたけど、フィジカルの強さやスピードに圧倒されました。最初の練習見学に行った時は、そんな簡単にはいかないだろうなと。『大学サッカーで自分は試合に出られないな』と思いましたね」

 

自信を失いかけた山下だったが、前向きな気持ちでトレーニングに臨むことを心がけた。その努力が実を結び、3年次の秋には東京ヴェルディから練習参加の声がかかった。

 

 

「ヴェルディの練習試合に参加した時の相手が日本大学で、(近藤)友喜とマッチアップしていたらしくて。僕がドリブルで交わしまくったので覚えていて、昨季のプロフィールの『対戦してすごかった選手』に僕の名前を書いてくれていたみたいです」

 

 

当時、近藤は大学1年生。自分が感じた大学サッカーのレベルの高さを、同じように年下の選手に植え付け、山下は無事、東京ヴェルディへの加入を勝ち取った。

 

 

 

学びを生かして、上の舞台へ

 

2020シーズンにヴェルディへ加入した山下は、出場停止による1試合の欠場を除き全41試合に出場し、充実したルーキーイヤーを過ごした。

 

 

「ヴェルディは、ボールの回し方や、ボールの取り方の技術、ポジション取りなど、サッカーの本質を細かく教えてくれるクラブでした。そんなことを学びながら、大久保嘉人さんや佐藤優平さんといった、経験のある選手と一緒にプレーできたことは、僕にとっての財産ですし、ヴェルディでの2年間があったから、今の僕があると思っています」

 

 

1年目を終えて他クラブからのオファーがあった山下だが、2年目のシーズンもヴェルディに残ることを決めた。

 

 

「自分の中では、なんとかヴェルディでJ1に上がりたいという気持ちで断りました。ただ、本心では早くJ1でプレーしたいという思いがあった。年齢的にも24、25歳という、自分がいいパフォーマンスできる状態でJ1でプレーしたいという希望もあったので、2年目を終えてヴェルディを離れることを決断しました」

 

 

横浜FCでは、中村俊輔をはじめ、Jリーグで長年活躍する選手とプレーできることに加え、自分と同じ体格の長谷川竜也が加入することも小耳に挟んだ。

 

「このクラブだった自分も早くJ1でプレーができると思って、横浜FCに移籍することを決めました」

 

J1でプレーしたい 。

 

強い覚悟を持って横浜FCに加入した山下は、ユニフォームが緑から青に変わったことに加え、ポジションもウィングバックになり、今まで以上に守備の意識も必要な立ち位置を任されることになった。

 

 

「そのポジションで起用されることは、ある程度予想していました。僕の足が速いことも相手はわかっているので縦には来づらいし、ある程度は守備もやりやすい部分があります。自分の中で新たな挑戦として幅が広げたいですし、きちんとボールも繋げる、自分にしかできないウイングバックになりたいと思ってプレーしています」

 

 

2022シーズンは試合の流れを変える“ジョーカー”として重宝され、プロ3年目にして通算100試合出場を達成し、クラブの掲げる1年でのJ1復帰に大きく貢献した。

 

 

 

 

90分間、活躍し続けられる選手に

 

横浜FCで過ごした1年を、山下は「自分がチームに来た意味が達成できた」と振り返る。その反面で、「選手個人としてはスッキリとはしていないです」と、素直な思いを口にした。

 

 

「もちろん、まずはチームの勝利が1番で、そのなかで僕がジョーカーという役割を担わなければいけないというのは理解しています。ただ、やはり1人の選手として90分間試合に出続けたいという気持ちはあります」

 

 

年齢的にも、若手から中堅に差し掛かる。

 

チームから求められている任務を全うする一方で、スタートから出場する選手を見送る立場と向き合うことに、悩んだ時間もあった。

 

 

この2023シーズンは、そんなジレンマとも向き合いながら、ジュビロ時代から背中を追い続けた大先輩である松浦拓弥の背番号7を受け継ぎ、小川航基、井上潮音、新井瑞希といった同年代の選手も増え、切磋琢磨し合う日々を過ごしている。

 

 

 

 

「プライベートでは、すごく仲が良くて航基の家に行ってご飯を食べたり、BBQをしたりして、オフの時間を一緒に過ごすことも多いです。ただ、プロである以上、仲良しこよしではもちろんないですし、隣にいる選手はライバルだし、ギャフンと言わせたい。サッカー選手をやっている以上は前半から出場して、後半も活躍し続ける選手になるということを目指していきたいです」

 

 

 

普段は感情を表に出すことも少なく、温厚な性格の反面、ピッチに入ると誰よりも気持ちを見せ、スタンドを煽る。

 

 

「試合になると、いつもの自分じゃなくなるというか、その時の自分の感情が爆発してしまうという感じです」

 

 

 

 

 

「チームメートからは『お前が相手だったらまじでやだわ』というのはよく言われます。そういう選手になりたいですね」

 

 

1分1秒でも長く、味方からは頼りにされ、相手から嫌がられる選手になれるように。

 

 

誰よりもハングリーな精神を持って、今日も山下は走り続ける。

 

 

 

 

山下諒也(やました りょうや)/FW

静岡県磐田市出身。1997年10月19日生まれ。165cm、54kg。ジュビロサッカースクールでサッカーを始め、ジュビロSS磐田、ジュビロ磐田U-18を経て、日本体育大学に入学。2020シーズン、東京ヴェルディに加入し、開幕節から41試合に出場しチームの主力選手として活躍した。2022シーズンから横浜FCへ完全移籍加入を果たし、持ち前の俊足と巧みなドリブル、ハートの熱さで試合のペースを引き寄せる、横浜FCの切り札。加入2年目の2023シーズンは、ジュビロ磐田と横浜FCの大先輩である、松浦拓弥から“背番号7”を受け継ぎ、J1での戦いに挑む。プロフィーページはこちら