

1998年、何もないところから始まった横浜FCは、昇格と降格を繰り返しながらクラブとしての土台を築いてきた。
そして2026年よりフットボールフィロソフィー「HAMASPIRIT」を掲げ、須藤大輔監督のもとで新たなフットボールに挑戦。経営面でも、7月から上尾和大が代表取締役社長に復帰し、次の成長を目指す体制へ移行した。
なぜ今、大きな改革に踏み切ったのか。全体を統括する上尾と、現場を統括する重田征紀スポーツダイレクターが、クラブの過去、現在、未来を語った。
J1定着、その先へ。
横浜FCが描く2030年へのロードマップ
代表取締役社長 上尾和大×重田征紀SD
取材・文=北健一郎、青木ひかる
――上尾社長は2026年7月から代表取締役社長に復帰しました。今回の体制変更の狙いを教えてください。
上尾:中長期的にクラブを成長させるため、片原大示郎副社長と私の役割を明確にしました。片原副社長には、今後の成長に欠かせないパートナーセールスを専門的に担ってもらい、私はその他のクラブ運営全般を担当します。それぞれの強みを最大限に発揮するための役割分担です。
――重田SDは選手として横浜FCの創設期を経験しました。当時はどのような環境でしたか。
重田:本当に何もなかったです。グラウンドもクラブハウスも、そろったウエアもない。最初のキャンプでは、エンブレムの入っていないウエアで練習していた記憶があります。横浜市内のクレーのグラウンドを借りたり、天然芝が雨で使えなくなれば、日吉まで移動してフットサルコートで練習したりしていました。
ただ、何もないからこそ、選手やスタッフ、支えてくださる方々の強い思いが、いろいろなものを動かしていました。クラブとサポーターの距離が近く、声や期待、熱が直接伝わってくる。それは横浜FCならではの感覚でした。
――引退後も指導者としてクラブに残り続けました。
重田:横浜FCにサッカーを続けられる環境を与えてもらったので、恩返しをしたいという思いがありました。その気持ちは今も変わっていません。
指導者になった時には、横浜FCのジュニアユースを立ち上げるところから始まりました。学校開放の調整会議に出て、週に一度グラウンドを使わせてもらうような時代です。今はトレーニングセンターがあり、練習会場に来ればグラウンドがある。それは決して当たり前ではありません。クラブが積み重ねてきたものの大きさを感じます。
――上尾社長は、前回の社長就任以前から横浜FCを意識していたのでしょうか。
上尾:横浜FCがあることは、LEOCを志望した理由の一つでした。LEOCの会社説明会に参加した際、事業内容とは全く異なるカズさん(三浦知良選手)のポスターが貼ってあり、強く印象に残りました。『いつかクラブ経営に携わるんだ』という一つの大きな目標を持って入社したことを覚えています。ただ当時は、『著名な選手が在籍し、J1を目指してJ2で戦っているクラブ』と、外から見ているだけの印象しかありませんでした。2018年から経営を担う立場になり、初めてクラブの内側を知っていきました。
――2018年に社長へ就任した当時、どのような課題を感じていましたか。
上尾:クラブの事業基盤の脆弱さに課題を感じていました。当時は『チームが勝ってJ1に上がれば、自然とご来場者は増える』という考え方が少なからずありましたが、本来は事業側が自らの力でファン・サポーターを増やし、そこで得た収益をチーム強化に還元していくサイクルを作らなければなりません。
当時は20億円に届かないくらいの事業規模でしたが、今は30数億円まで成長しています。しかし、クラブが目指す高みへ到達するには、この数字の伸びだけで満足することは決してできません。
――2019年のJ1昇格後は、昇格と降格を繰り返しました。
上尾:2019年に昇格した時は、私を含め、多くのスタッフにとって初めてのJ1と言ってもいい状態でした。J1クラブとしての確固たる基盤が整っていたとは言い難く、目の前の戦いに食らいつくことで精一杯でした。
カテゴリーが変わると収入の見通しも大きく変わります。J1に定着するためにはチーム強化への投資が不可欠ですが、当時の事業規模とのバランスに苦心しながらも先行投資を行い、J1定着というリターンを掴み取ろうと挑み続けたのが、この数年間だったと捉えています。
重田:強化面でもカテゴリーの違いは大きいです。選手は当然、J1でプレーしたい。J2に降格すれば選手が離れ、J1に上がれば、J1でプレーしたい選手を獲得できる。注目度やリクルートも変わります。
――目の前の結果を求める中で、クラブとしての一貫性を保つ難しさもあったのでしょうか。
重田:勝利を優先することは今も変わりません。ただ、そこへ向かうプロセスとして何を選ぶかが重要です。これまでは目の前の結果を得るために必死に取り組み、昇格も実現しました。一方で、降格するたびに方向性がリセットされ、また別のものを始めることも起きていました。
上尾:2025シーズンを振り返り、J1定着という目標を達成できなかった現実を真摯に受け止め、「なぜ定着できなかったのか」「自分たちの強みは何か」を改めて考えました。
一つの要因は、短期的な結果を求めるあまり継続性を欠いたことです。一方、横浜FCには、重田さんをはじめ、長い時間をかけてアカデミーを築いてきた人たちがいます。カテゴリーが変わっても積み重ねてきたものがある。継続性とアカデミーをクラブのアイデンティティに据えるため、重田さんにスポーツダイレクターをお願いしました。
――重田SDは、そのオファーをどのように受け止めましたか。
重田:強化部の経験値は決して高くありません。ただ、アカデミーを含めて、さまざまな立場からクラブを見てきた経験は生かせると思いました。
大きかったのは、スポーツダイレクター一人で全てを決めるのではなく、技術委員会を立ち上げ、クラブとして議論しながら意思決定する体制をつくったことです。自分に足りない部分を支えてもらいながら進められるのであれば、力を発揮できると思いました。
上尾:以前は、クラブの意思決定が特定の個人に依存する傾向がありました。結果が出ないことで体制が刷新され、そのたびにクラブとしての積み上げがリセットされてしまう。これでは継続性は生まれません。
技術委員会には、経営、強化、アカデミー、そして奥寺さんも参加しています。
それぞれの立場からの意見をもとに全員で議論し、個人ではなくクラブの意思決定として積み重ねることが大切です。
――改革の象徴が、フットボールフィロソフィー「HAMASPIRIT」です。
上尾:今回は監督を決める前に、まず横浜FCがどのようなフットボールを目指すのかを議論しました。監督や強化責任者が替わるたびに方向性も変わるのではなく、クラブが先に哲学を持ち、その哲学に合う監督を探す。重田さんを中心に議論を重ね、形にしたものが「HAMASPIRIT」です。

重田:「これが横浜FCのスタイルであり、原点である」と共有できる、絶対に譲れないものを持ちたいと考えました。それをピッチで表現し、ファン・サポーターのみなさんと喜びも悔しさも共有して、「これが横浜FCだ」と感じてもらいたい。
また、アカデミーの選手がトップへ上がるまでには10年以上かかります。トップの監督が替わるたびに、アカデミーの哲学まで変えることはできません。アカデミーの選手がトップへ上がった時、スムーズに力を発揮できる一貫したスタイルを確立する必要があります。
――そのフィロソフィーを体現する監督として、須藤大輔監督を招聘しました。
重田:目指すサッカーとの親和性に加え、「クラブを変えたい」「自分はこうしたい」という野心が非常に強かった。改革を進める横浜FCと同じ方向を向いて歩めると感じました。
上尾:監督の発信を通して、クラブのビジョンや姿勢が世の中に広く伝わります。人間性を含め、横浜FCが進もうとしている道を、ピッチ内外において最も体現していただく『クラブの顔』とも言える存在です。サッカーだけでなく、クラブ経営全体に関わる重要な人事だと実感しました。
――百年構想リーグでは、堅守速攻から、ボールを保持して主導権を握る「インプレッシブサッカー」へ転換しました。序盤は結果が出ず、難しい時期もありました。
重田:「横浜FCのサッカーとは何か」と問われた時に、これまでは明確に示せるものがなかったと思います。強化責任者や監督がやりたいサッカーが、その時の横浜FCのサッカーになっていた。今回は、クラブが自分たちのサッカーを持ち、それを表現できる監督を招聘するという順番に変えました。
若い選手たちが躍動し、選手の価値を高めるためにも、自分たちがボールを持ち、攻撃で違いを生み出すことが必要です。堅く守ってカウンターを狙うことも手段ですが、それだけではなく、よりアグレッシブに、主体的にプレーするチームを目指しました。
結果が出ない時期にも、「目指すものは絶対にぶらさない」と監督とは繰り返し話をしていました。ここで元に戻せば、これまでと同じことを繰り返します。選手たちも完成形が見えない中で取り組み、少しずつ狙いと役割を共有できるようになりました。
上尾:競技成績だけでなく、重田SDからの状況報告やパフォーマンスデータも含めて、チームの中で何が起きているかを技術委員会で確認していました。出た課題を修正すればパフォーマンスの指標が改善し、また新たなレベルの課題が見えてくる。結果が伴わない時期であっても、チームが着実に前進している確かな手応えがありました。ですから、須藤監督への信頼が揺らぐことは一切ありませんでした。
――百年構想リーグでは、細井響選手、杉田隼選手、岩崎亮佑選手、秦樹選手ら若手がリーグ戦に絡みました。
重田:彼らの経験は、次のシーズンに向けても大きな財産です。今回は、従来のように35人前後を抱えるのではなく、30人を切るスカッドを編成しました。経験のある選手を多くそろえれば対応力は高まりますが、そのことで若手の出場機会を減らす場合もあります。
若手を育てると言いながら出場機会をなくすのではなく、必要な時にはベンチに入れ、実際に使う編成にする。須藤監督も、年齢に関係なく、良ければ使うという基準が明確です。
杉田も最初から順調だったわけではありません。監督やコーチ陣の働き掛けで本人の意識が変わり、自分の特徴を表現できるようになった。若い選手の成長角度は大きいと感じました。ただ、2026/27シーズンは経験しただけではなく、より明確な結果が求められます。
――若手が試合に出る姿は、アカデミーの選手にも影響を与えますね。
重田:去年まで一緒にプレーしていた選手がトップでデビューすれば、「自分もここで出られるかもしれない」と思える。目標やモチベーションにつながることは間違いありません。
上尾:これまでは、18歳で横浜FCのトップに上がり、試合に出るイメージを持ちにくかったかもしれません。それが、この半年で大きく変わりました。アカデミーからトップチームへ昇格し、プロとしてのキャリアを切り拓くという『明確な道筋(パスウェイ)』を選手たちに示せるようになったと感じています。
さらに、横浜FCで経験を積んで海外へ行くことも、海外で経験を積んで戻ることもある。選手の可能性を広げる選択肢を用意したいと考えています。
――移籍金収入を増やす一方で、「横浜FCのために戦いたい」と思う選手を増やすことも重要です。
重田:今の若い選手の多くは、海外でプレーしたいという目標を持っています。より高いレベルや日本代表を目指すのは自然なことですし、その夢を実現させられるクラブでなければいけません。
横浜FCで試合に出て価値を高め、次のクラブへ進み、その先まで含めてキャリアを描ける仕組みをつくる。横浜FCから世界へ羽ばたく選手が増えることは、クラブの価値を高めます。選手とクラブの双方が成長できる循環を確立したいと思っています。
――10年前と比べ、平均観客動員は約2倍、売上は約3倍になりました。
上尾:ファン・サポーターの皆様の熱意と、スタッフの努力によって事業規模が拡大してきたことは、これまでの歩みの成果として前向きに捉えています。ただ、J1クラブの平均売上や他クラブの成長速度と比べれば、決して現状に甘んじることはできません。このままでは競争に取り残されてしまうという強い危機感を抱いています。
J1に定着し、その先で上位を狙うには、もっと成長速度を上げなければいけない。クラブ全体で意識を変え、一段階上のギアを入れる覚悟が必要です。
――2030/31シーズンには売上45億円を目指します。
上尾:大きく三つの柱があります。一つ目はホームの観客数です。ニッパツ三ツ沢球技場を毎試合、横浜FCのファン・サポーターの皆さまで満員にすること。カテゴリーやアウェイサポーターの数に左右されず、横浜FCを応援する方でいっぱいにしなければ、45億円には届きません。
二つ目はパートナーセールスです。広告枠を売るだけでは限界があります。地域とのつながりを生かし、社会課題の解決やパートナー企業の事業成長に貢献する。クラブが相手の課題にソリューションを提供し、『共に成長し合える』より強固なパートナーシップへと深化させていきたいと考えています。
三つ目は移籍金収入です。若い選手が早くデビューし、価値を高めて海外へ進む。その育成と移籍の循環を事業として確立する。この三つを伸ばせれば、45億円は現実的な目標だと思っています。
――観客を増やすために、どのようなアプローチが必要でしょうか。
上尾:特定の年代だけに絞る考えはありません。横浜に住んでいる方、関わりのある方が、自然と応援に来てくださるクラブにしたいです。
課題は、一度来た方が、二度、三度と足を運ぶところまでつながっていないことです。試合で見せるサッカーやスタジアムの雰囲気には自信があります。まず一度足を運んでいただく接点を創出し、『また三ツ沢に行きたい』『次も応援したい』と心から思っていただけるような、熱狂と感動のあるスタジアム体験を提供していかなければならないと考えています。
もちろんデジタル施策も進めますが、地域とのリアルな接点こそが重要だと考えています。サッカーを日常的に楽しむコアな層の方々だけでは、毎試合スタジアムを満員にすることはできません。これまでサッカーに馴染みがなかった地域の方々にも横浜FCの存在を知っていただき、『一度三ツ沢に行ってみよう』と思っていただけるようなアプローチが不可欠です。
重田:現場としては、自分たちのフットボールで魅了することが役割です。「横浜FCの試合が毎週楽しみだ」と思ってもらえるチームにしたい。選手が何を狙い、どこで勇気を出したのかをスタジアム全体で共有できれば、「これが自分たちのサッカーだ」という文化が確立されていくと思います。
――2026/27シーズンを、どのような一年にしたいですか。
上尾:トップチームが一歩踏み込んだ改革に挑戦したように、ビジネスサイドも改革を進める一年にしなければいけません。これまで積み上げた横浜FCの強みは生かしながら、環境が変わることを恐れずに前へ進む必要があります。
トップチームに事業が支えられるだけでなく、事業側がトップチームを後押しし、時には引っ張っていく。両輪で成長することが大切です。どれだけ観客を増やし、地域と深く結びついていけるか。
今まで以上に期待していただけるクラブへ変わる一年にしたいと思います。
重田:百年構想リーグを通して、次のシーズンに期待を持てる土台はつくれたと思います。ただ、須藤監督は「まだ完成度は半分ほど」と話しています。チームには大きな伸びしろがあります。
2026/27シーズンは、自分たちが目指すフットボールで相手を圧倒し、J2を戦いたい。なぜなら、昇格だけが最終目標ではないからです。自分たちのフットボールでJ1へ上がり、定着し、さらにタイトルを狙うクラブにならなければいけません。
昇格だけを目的にして、また方向性を変えてしまえば、このかじを切った意味がなくなります。J1へ上がることも、定着することも簡単ではない。その難しさを横浜FCは誰よりも理解しています。だからこそ、目指すものを信じ、積み上げ続けるシーズンにしたいと思います。
――横浜FCの新たな挑戦は、まだ始まったばかりです。
上尾:『HAMASPIRIT』という、私たちが目指すべきフットボールの明確な哲学は定まりました。しかし、それをピッチ上で表現し、完全な形へと昇華させる道のりは、まだ始まったばかりです。これから選手、スタッフ、ファン・サポーターのみなさんと一緒になって、その答えを築き上げていきたいと思っています。
重田:簡単ではないからこそ、ぶれずに続けることが大切です。ピッチで表現し、みなさんと共有しながら、「これが横浜FCだ」と胸を張って言えるものをつくっていきたいと思います。
上尾 和大(うえお かずひろ)

1985年11月10日生まれ、山口県岩国市出身。2008年に株式会社LEOCへ入社し、営業、事業部支店長、人材採用、外食事業部執行役員などを歴任。2018年に株式会社横浜フリエスポーツクラブの代表取締役社長COOへ就任し、事業規模の拡大や観客動員の向上に取り組んだ。2021年にLEOCへ戻り、新規事業の立ち上げなどに携わった後、株式会社横浜フリエスポーツクラブの取締役会長を経て、2026年7月から代表取締役社長に復帰。クラブ全体を統括し、中長期的な成長とJ1定着を目指す。
重田 征紀(しげた ゆきのり)

1976年7月15日生まれ、神奈川県出身。読売日本SCユース、ヴェルディ川崎を経て、横浜FCのチーム活動初年度となる1999年から選手としてプレー。現役引退後は横浜FCジュニアユース、ユースの監督やトップチームコーチ、アカデミーダイレクターなどを歴任し、長年にわたり選手育成とクラブの強化に携わってきた。2024年にトップチームのテクニカルダイレクター、2025年にはスカウト担当、トップチームコーチを務め、2026年からスポーツダイレクターに就任。クラブの原点と育成現場を知る立場から、トップチームとアカデミーをつなぐ強化体制を担う。