横浜FC

世界への挑戦①~先駆者~

2021.3.11 Thu

2021年2月25日(木)に第 3回目の講義を開催しました。

講師は、横浜FC会長兼スポーツダイレクターの奥寺康彦氏に務めていただきました。奥寺氏の選手時代の経験を選手たちに伝える貴重な講義でした。

 

古河電工でキャリアをスタートした奥寺氏。当時の日本代表監督の二宮寛氏の推薦でFCケルンの練習に参加し、契約を勝ち取りました。

 

当時のドイツで日本人がプレーする事にチームの人間だけでなく、サポーターも疑いを持っていましたが、それを覆すにはやはり結果を出すしかありませんでした。奥寺氏も最初は環境に馴染むのに苦労したとの事だが、当時監督のバイスバイラー氏に「自分の良さをもっとピッチの上で遠慮なく出してみろ」と言われ、心がスッキリし、徐々に活躍し始め、サポーターからも認めてもらうようになったそうです。

 

海外に挑戦するまでは、海外は憧れの存在で、自分がそこでプレーするとは考えてもおらず、初めてケルンに行った時は、孤独感もあり、何より言葉が通じないのが、いっそうそれを強くしたと話してくれました。しばらくして家族もドイツで住むようになってから少し落ちつき、それを聞いた選手たちもそれほど環境の変化は心身に影響を与えると感じている様でした。

 

1986年に日本に帰国し、日産の木村和司氏とともに、国内初のスペシャルライセンスプレーヤー契約を結びました。当時はまだ、アマチュアである事が世の中の常識で、お金もらってプレーする「プロ」形態は、マイナスイメージを与えてしまう物でした。ただ、日本のサッカー水準を上げるべく、サッカー協会が奥寺氏とプロ契約を結びます。代表選手としてプレーする時は、責任感や覚悟が、より求められるが、それも自分が成長する養分になると奥寺氏は強く説明しました。最後に常に自分には何ができるのか?、何を求められているのか?を考えて行動しなければならいと話し、講義は終了しました。選手たちは終始、日本サッカーのパイオニアでもある奥寺氏の話しを真剣に聞いており、今後のピッチ内外での活動が楽しみになる、そんな講義でした。

 

奥寺康彦氏プロフィール

■現職
横浜FC会長兼スポーツダイレクター

 

■出 身 地
秋田県

 

■経歴

1970〜1977 古河電工(JSL1部/100試合/36得点)

1977~1980 1.FC ケルン(ブンデスリーガ1部/75試合/15得点)

1980~1981 ヘルタ・ベルリン(ブンデスリーガ2部/25試合/8得点)

1981~1986 ヴェルダー・ブレーメン(ブンデスリーガ1部/159試合/11得点)

1986-1988 古河電工(JSL1部/43試合/3得点)

1999       横浜フリエスポーツクラブ ゼネラルマネージャー

2000       横浜フリエスポーツクラブ 社長

2012       日本サッカー協会殿堂入り

2014       アジアサッカー連盟 初代殿堂入り

2017       ブンデスリーガレジェンドに選出

※獲得タイトル

1976     日本サッカーリーグ、天皇杯

1977-78 ブンデスリーガ、DFBボカール

1986-87 アジアクラブ選手権

1986     JSL東西対抗戦MVP

 

■日本代表歴

国際Aマッチ/32試合/9得点

 

選手の声

 

■大内一生選手

今日の奥寺さんの話を聞いて、昔と今の環境の差だったり奥寺さんが気付き上げてきたキャリアについて知る事ができました。奥寺さんの時代では日本人がプロサッカー選手になってヨーロッパで活躍するという考えは無かったのにも関わらず、言語なども知らずにヨーロッパに行くと決めた決断と覚悟が凄いなと思いました。またその実力がブンデスリーガの人達に認められ、レギュラーで活躍し続けれた秘訣なども知れて良かったです。
映像などにも流れていたようにグラウンドだったりのコンディションが今の時代ではあり得ないくらい酷い中でもリーグ戦で得点を量産したり当時のチャンピオンズリーグで途中出場で得点をあげるなど、自分は今の環境に感謝しながら結果を出す事に目を向けていくべきだなと強く実感しました。当時のトップレベルの選手達と戦っていてブンデスリーガのレジェンドとして名が上がったり、日の丸を背負って戦ってきた奥寺さんをこれからもリスペクトしていきたいですし、個人的にもヨーロッパで活躍する目標があるので今後色々なアドバイスを聞いていきたいと思いました。

 

■袴田裕太郎選手

日本人初のブンデスリーガで数多くの結果と歴史を日本にもたらした奥寺さんの講義を聞くことができ、本当にこの環境に感謝しなければいけないなと強く感じました。選手にも、カズさんや、俊さん、伊野波さんなど多くの功績を残した人達がチームにはいます。そういう人から多くのことを吸収し学んでいけるようもっと自分から積極的にアクションを起こす必要があると思いました。こういった選手に追いつき追い越せるよう日々鍛錬し、プロフェッショナルプレイヤーとして輝けるようこれから成り上がっていきたいと思います。今横浜FCの一員として戦えていること、僕が横浜FCの歴史を変えられる立場にいるので結果で証明し、2021年の目標であるTOP10以上を目指したいです。そして、自分も奥寺さんのように憧れられる、影響の与えられる人となりたいと思います。日本代表選手としてW杯に出場することを目標にそこから逆算した生活を日々送っていきたいと思います