取材・文=北健一郎、青木ひかる
強靭なフィジカルを生かしたポストプレー、パワフルなシュートでチームをけん引する、シーガルズの若きエース・片山由菜。
「個の力をもっと高めて、得点をたくさんとりたい」
加入3年目のシーズン。片山は『リーグ優勝』と『得点王』の2つのタイトルを懸けて、残り2試合を迎える。
「たくさんの応援のメッセージもいただいていますし、ファン・サポーターの皆さんの期待に応えていきたい」
シーガルズに関わるすべての想いを背負い、9番は大一番に挑む。
優勝トロフィーを、
三ツ沢に。
ニッパツ横浜FCシーガルズ FW 片山由菜
日韓ワールドカップの熱も冷めやらぬ、2002年8月27日。
神奈川県川崎市で、4兄弟の末っ子として片山由菜は生まれた。
運動における基礎能力の高さは、バスケのプレー経験がある母と、野球やラクビーに勤しんだ父からの授かりもの。
同じ遺伝子を継いでいる片山兄弟は、一番上の兄をはじめ、4個上の姉、2個上の兄と揃って、その才能をサッカーに注いだ。
「小さい頃からボール以外もいろんなものを蹴ってたらしいです。サッカーも気づいたら初めていて、最初は半強制みたいな感じでしたね(笑)」
5歳で地元の平間FCに加入し、先を走る兄弟たちを追いかけ、グラウンドを走る日々が始まった。
「コーチがいろんなポジションをやってみなさいと言って、フォワードだけじゃなくてボランチも、センターバックもやってました。背は高かったので、ポストプレーとかは当時からやっていたかもしれません」
そんな片山が“サッカー選手”を意識し始めたのは、小学4年生の頃。『楽しさ』重視のチームから勝利へのこだわりが強まり、練習中や試合の雰囲気もよりシビアになった。
「今までは、ゴールを決められてうれしいとかドリブルするのが楽しいとか、それだけでした。そこからだんだん試合に負けたくなくなってきて、もっとうまくなりたい、上を目指すにはどうしたらいいのかと考えるようになりました」
サッカーの魅力に引き込まれた片山は、中学進学を機にセレクションを受けることを決断する。
片山は自らの技術を磨くべく、女子サッカー屈指の名門クラブである日テレ・東京ヴェルディメニーナのセレクションに挑んだが、結果は落選。かなりのショックを受けたという。
「ずっと男子チームにいたので、フィジカルにも自信はあったし、正直行けるだろって思っていたので……。その後JFAアカデミーも落ちてしまって、選択肢が限られていくなかで、INAC多摩川レオネッサに加入することができました」
すぐにスタメンを勝ち取った片山は、先輩や同期にも恵まれ、のびのびと自分の強みを発揮した。
「まずはフォワードをやって、途中からボランチもやりました。それまで自分は周りに合わせてもらう側でしたけど、スピードのある選手やテクニックのある選手など、いろいろなタイプにどう合わせるかを考えられるようになりましたね」
練習は夜19時から21時まで。
遅くまでの負荷のかかるトレーニングをこなしては、毎朝眠たい目をこすりながら学校に通い、
ひたすらサッカーに打ち込んだ。
数々の強豪クラブがひしめく東京で、当時のINAC多摩川はお世辞にも強いチームとは言えず、試合では大敗することも少なくなかった。
そんななか、中学3年生の6月に出場したU-15女子ユース選手権の関東予選大会で、忘れられない出来事が起こる。
そんななか、中学3年生ながら“飛び級”でU-18チームの一員として出場した女子ユース選手権の関東予選大会で、忘れられない出来事が起こる。
「準々決勝でジェフユナイテッド市原・千葉レディースと当たって、途中まで0-2で負けてたんですが、自分が3点決めて逆転勝利することができたんです。そのまま全国大会にも出場することができました。チーム全員が泣いて笑って喜んでくれて」
クラブ初の全国大会出場の立役者となり、片山は点取り屋として大きな爪痕を残した。
中学3年間を終え、片山は都内でも屈指のサッカー強豪校として知られる修徳高校への進学を決めた。
全国大会の常連校で繰り広げられる激しいポジション争いに食らいつき、1年生のうちからAチームで活躍する。
2年生の冬の高校サッカー選手権でハットトリックを決め、大会得点王にも輝き、チームを全国3位へと導いた。
高校卒業後はどこでサッカーをしよう──。
シーガルズからのオファーが届いたのは、最高学年に進級し今後のキャリアを悩み始めた折のこと。
練習試合での対戦をきっかけに声をかけられた。
「本当は大学に進学しようと思っていたんです。だけどコロナ禍というのもあって、なかなか練習参加が実施されなくて。オンライン面談だけじゃなくて、絶対に直接見てチームを選びたかったので、どうしようかなと思っていたら、シーガルズからお話をいただきました」
悩む片山を後押ししたのは、修徳高校の2つ上の先輩にあたる小林ひなた(現ジェフ千葉レディース)の『私はシーガルズに入って良かった』という一言だった。
「ひなたさんは高校時代はずっとチームの主力で、自分も尊敬している先輩でした。そんな先輩が入って良かったと思えるって、どんなチームなんだろうって。自分は、そこでどんな選手になれるのか知りたくなって、加入を決めました」
期待と探究心を胸に、片山はついに“なでしこリーガー”の一員として、シーガルズのユニフォームに袖を通した。
2021年3月28日。
なでしこリーグ開幕戦で、片山は新加入選手ながら先発メンバーに大抜擢された。
緊張で強張る頬を叩き、チームメートから励まされながら、ピッチに足を踏み入れた。
「自分が出ていいのかなって不安もありました。前半は硬くなってしまっていたんですけど、後半は自分の良さを出すこともできました。いいシュートは打てたんですけど。決めきれずに負けてしまったので、最後はやっぱり悔しかったですね」
第6節の愛媛FCレディース戦では、試合開始わずか2分、左サイドからの折り返しを片山がダイレクトで流し込み、なでしこ初ゴールをマークした。
奇しくも、同じ修徳高校出身の3学年上の先輩である、平川杏奈(現Virginia United FC/オーストラリア)のアシストで決めた得点は「記憶が飛ぶほどうれしかった」と振り返る。
その後もコンスタントに出場機会を重ねた片山は、15試合に先発出場し4ゴールという上々の結果を残した。
「年齢も10個離れた経験豊富なベテラン選手たちと戦ったり、自分よりも体の強い選手もいたりして、差を感じたところもありました。それでもシーガルズの同期や先輩に助けてもらいながら、充実した1年を過ごすことができました」
しかし、さらなる飛躍を誓った翌2022シーズンは、ベンチスタートが増えゴール数も2と伸び悩んだ。
「2年目になって下からもいい選手が入ってきて、焦りを感じていた部分はありました。背番号も9に変えて、チームを勝たせる選手にならなきゃって思いが少し空回りして、自分らしいプレーができなくなってしまって、苦しい1年でした」
歯痒さを抱えたまま、2年目が幕を閉じた。
迎えた2023シーズン。
昨季のスランプは杞憂に終わり、片山は開幕からゴールを量産。第11節までで10ゴールをマークし、得点ランキングのトップを走った。
加えてチームも9試合負けなしで勝ち点を積み上げ、絶好調でリーグの前半戦を折り返した。
「特別なことをしたわけではありません。むしろ、自然体でやろうというマインドで新しいシーズンをスタートできたことがよかったのかなと思います」
ところが、後半戦で待ち受けていたのは対戦相手によるスカウティングと対策、そして『なでしこリーグ初優勝』へのプレッシャーだった。
シーガルズは第12節から3勝1分5敗と負け越し、首位から陥落。チームの失速はそのまま片山の得点数にも影響を及ぼし、11得点目を奪えない試合が続いた。
それでも優勝への灯火は、まだ消えていない。
9月17日に行われたオルカ鴨川FCとの“天王山”では、0-3の状況から3点を返し、ドローゲームに持ち込んだ。
反撃開始の合図となったのは、コーナーキックからのこぼれ球を決めた、片山の左足でのシュートだった。
この引き分けが生命線となり、勝点4差で2位に位置するシーガルズは、リーグ優勝の可能性を繋ぎ止めた。
あわせて、片山の得点女王争いも佳境を迎え、2ゴール差でトップを走る神谷千菜(朝日インテック・ラブリッジ名古屋)に追随している。
「かなり厳しい状況ではありますが、下を向いている選手はいません。個人としては得点王も諦めたくない。“チャレンジャー精神”を忘れずに、残りの2節を戦います」
10月9日。最終節の三ツ沢球技場で、金色に輝くトロフィーを手にするために。
片山由菜は、虎視眈々とゴールを狙う。
片山由菜(かたやま ゆな)
FW 神奈川県出身。2002年8月27日生まれ。地元の平間FCでサッカーを始め、INAC多摩川レオネッサU-15に加入。中学3年時にクラブ史上初の全国大会出場に大きく貢献する。修徳高校を経て、卒業後の2021シーズンにシーガルズに加入。高卒ルーキーとしてなでしこデビューを果たした。1年目は22試合全試合に出場し4ゴール、2年目は19試合出場で2ゴールに留まったものの、3年目の2023シーズンは第20節終了時点で12ゴールを決め、チーム最多得点をマークしている。持ち前のフィジカルを活かして最前線で体を張り、パワーの込もった一撃で相手ゴールを脅かす。
10月9日(月・祝)13:00KICKOFF
2023プレナスなでしこリーグ1部
ニッパツ横浜FCシーガルズ vs. ASハリマアルビオン
@ニッパツ三ツ沢球技場
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