横浜FC

 

 

「疾風に勁草(けいそう)を知る」。

 

逆境や厳しい環境に立たされた時こそ、その意志の堅さや本当の強さや価値がわかるという、この言葉は今の小川慶治朗にぴったりと当てはまる。

 

生え抜き選手として過ごしたヴィッセル神戸を離れ、新天地での順応とポジション争い。海外への挑戦。

 

そして30歳を超えた今、体力の限界と向き合いながら、J1残留のために走り続けている。

 

自分は誰よりも走らないと意味がない──。

 

その信念を貫く、“背番号50”の真価が試される。

 

 

俺は、
走ってなんぼ

小川 慶治朗 MF 50

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

夢はワールドカップに出ること

 

1992年7月14日。

小川慶治朗は、兵庫県の三田市で三兄弟の次男として生まれた。

 

 

兄がサッカーチームに通い始めたことをきっかけに、4歳からボールを蹴り始め、小学校入学のタイミングで、ウッディSCに加入した。

 

写真:本人提供

 

当時の憧れはブラジル代表のエースだった”元祖”ロナウド。爆発的なスピードを活かしたプレースタイルに自らの特長を重ねた。

 

 

「ロナウドには速い選手っていうイメージしかなかったんですけど、実は足元もめちゃくちゃうまいじゃないですか?自分はうまい選手にはなれないと気づいていたので、とにかく走力で飛び抜けるしかないなと思いましたね」

 

 

現在、韓国の蔚山現代FCでプレーしている江坂任は、小学生時代のチームメートだ。楽しくボールを蹴る街クラブだったが、運動能力の高い子どもが自然と集まったことで、強豪チームへと変貌を遂げていく。小川も地元の“スピードスター”として、地位を確立した。

 

 

「正直地元では無双状態で、兵庫県のトレセンにも選ばれていました。メンバーには昌子源(ガンバ大阪)もいたし、原口拓人(ガンバ大阪などでプレー)もいて、とくに拓人を見たときは驚きましたね。左利きで、タッチが柔らかくて、視野も広くて」

 

 

このトレセンをきっかけに、小川はヴィッセル神戸のセレクションを受けることを決断。夢への第一歩として、Jリーグの育成組織への加入を果たした。

 

 

写真:本人提供

 

”バケモノ”との出会い

 

ジュニアユースに入り、同世代の選手との競争心に火を灯した小川。

そんな彼に、さらに衝撃を与えた存在がいた。

 

 

ガンバ大阪の“天才“宇佐美貴史だ。

 

 

「初めて対戦して、生まれて初めて『バケモノに出会った』と思いました。同じ関西ですけど、世界の広さを感じさせられました」

 

 

ガンバに、宇佐美に、負けたくない。

 

 

さらに上を目指す活力となった一方で、この出会いは自分の立ち位置を見つめ直す機会にもなったという。

 

 

「U-17代表としてワールドカップを戦いましたが、宇佐美と同じチームになって、他にも自分より上手い選手もたくさんいました。それまでは自分が点取り屋だと思っていたけど、自分はもっと泥臭くやらないと、この世界では生き残れない」

 

 

代表活動中のコーチからの一言が、さらに小川のプレースタイルを後押しした。

 

 

「『宇佐美の3倍走ってるな』と言われたことは、今でも覚えています。スピードだけじゃなくて、攻守で貢献するための運動量もつけていこうと決めたのは、この頃でしたね」

 

 

誰よりも走り、誰よりも戦う選手に。

 

 

その献身的なプレーと思い切りの良さが評価されて、高校2年生の3月、小川はクラブとして初の2種登録選手、高校生Jリーガーとなった。

 

 

”13番”としての誇りと葛藤

 

2010年3月27日の横浜F・マリノス戦で、小川は当時のクラブ最年少出場記録を更新する。

 

 

2011シーズンから正式にトップチーム入りを果たすと、翌年の2012シーズンには背番号を10に変更する大久保嘉人からの指名で、神戸のエースナンバー「13」を引き継いだ。

 

 

ピッチを上下に爆走する姿から、名付けられたあだ名は「人間機関車」だった。

 

 

育成組織から過ごしたクラブで着々とキャリアを重ねた小川だったが、在籍年数が長くなればなるほどに、少しずつ不安が生まれはじめる。

 

 

「試合には出てるし、ちょこちょこ点も決めている。でも、絶対的な存在というわけではないし、プレーもだんだん消極的になってしまっていたんです」

 

 

本当にこれでいいのか── 。

 

その焦りは年々強まっていく。

 

 

「(神戸一筋でプロキャリアを終えた)北本久仁衛さんの背中を追いかけてやってきたし、ずっと神戸にいるだろうと自分も周りも思っていました。ただ、このままだと自分のためにもクラブのためにもならないなと。周りからも家族からもすごく驚かれましたが、神戸を離れる決断をしました」

 

 

小川は、退路を断つ“片道切符”を手に、育成組織から16年過ごしたクラブを離れることを決めた。

 

 

 

 

 

横浜から、海の向こうへ

 

2021シーズンを前に横浜FCと完全移籍の契約を結び、関東の地に足を踏み入れ、小川の新天地での生活が始まった。

 

 

「神戸のイメージが強いのはわかっています。ただ、加入当初はそれを覆すつもりでした。本気で“横浜の小川になりたい”と思っていました」

 

 

ところが、開幕から13戦勝ちなし。チームは苦しい状況が続いた。小川自身も出場機会を徐々に減らしていく。

 

 

 

 

そんな消化不良の時間が続くなか、小川に海外移籍のチャンスが舞い込む。

 

 

 

「ずっと海外でのプレーに憧れていましたが、チームは残留争いの真っ只中で、手放しには喜べませんでした。でも、横浜FCは背中を押してくれた。もう最後のチャンスだと、わがままを叶えてもらいました」

 

 

 

2021年10月。

小川は、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに加入すると、リーグ戦全試合に出場。2022シーズンは韓国のFCソウルで12試合に出場した。

 

 

「オーストラリアでも韓国でも、個人としての調子は良くて、とくにオーストラリアはもっと自分の良さを発揮できる自信もありました」

 

 

ずっと夢だった海外挑戦は2年間で幕を閉じた。

 

日本と異なる環境で過ごした時間は、小川にとって間違いなくプラスになった。

 

 

「他国のリーグでプレーすることの難しさを身をもって感じました。ピッチ内だととくに、言語の壁が邪魔になってストレスになる。日本にはたくさんの外国人選手がいますが、より彼らの力を最大限引き出すために、困ったことは助けてあげたいし、密にコミュニケーションを取っていきたい」

 

 

 

このクラブのために

 

オーストラリア、韓国での期限付き移籍を終え、2023シーズン、小川は約1年半ぶりに横浜FCへの復帰を果たした。

 

 

 

「『もう必要ない』と言われることも想定していました。でも、自分としてはJリーグに戻るなら横浜FC以外は考えられなかった。移籍を後押ししてくれた恩返しをするつもりで、横浜に帰ってきました」

 

 

指揮官である四方田監督とも、一から信頼関係を構築しなければいけない。即戦力として、よりシビアに、目にみえる結果を見せなければならない。

 

 

決して優遇された立場ではないことを理解した上で、小川は自身に喝を入れる。

 

 

「自分は海外でも残留争いをずっとしてきたし、守備の部分では、求められていることの8割ぐらいはできていると思います。でも、本来攻撃の選手という意味では、得点ができていないので0点です。守備にも100%、攻撃にも100%を注がないと、勝てるチームにはなれません」

 

 

 

とくに真夏のゲームを戦うリーグ後半戦は、選手たちの疲労も溜まり、試合の途中で足が止まる時間も増えるだろう。

 

 

「経験を積むと、『このくらい走ったら何分で足が攣る』『何分までやるなら、このくらい』という枠ができてしまいます。それを取り払えるかが、この夏で一番重要です。体力的にはしんどいです。しんどいですけど、自分が一皮むけるためには、もっともっと走らなきゃいけない」

 

 

 

 

すると小川は目線を上げ、「ありがとうございます」と口にした。

 

 

「このタイミングで、こういう話ができて良かったです。覚悟が決まりました。自分は走ってなんぼの選手です。それだけは絶対に忘れずに、このクラブのために全力を尽くしたい」

 

 

 

神戸の「機関車」から、横浜FCを救う「帰還者」へ。

 

 

 

小川慶治朗は止まらない。

 

 

 

 

PROFILE

小川慶治朗(おがわ けいじろう)/MF

兵庫県三田市出身。1992年7月14日生まれ。170cm、67kg。地元のウッディSCでサッカーを始め、ヴィッセル神戸ジュニアユースに加入後、ヴィッセル神戸U-18に昇格。2009年にはU-17W杯に出場し、クラブ初の2種登録選手として、2010年にJリーグデビューを果たした。2018シーズンに湘南ベルマーレへの期限付き移籍を挟み、2019シーズンに神戸に復帰。2021シーズンに横浜FCに完全移籍後、同年10月にオーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへの期限付き移籍が決定し、自身初の海外移籍へ。2022シーズンは韓国のFCソウルでプレーしたのち、横浜FCへ復帰を果たした。幼少期から自信のある走力と、培った豊富な運動量を生かし、攻守での献身的なプレーでチームの勝利に貢献する。こちら