横浜FC

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

人気の少ない横浜FC・LEOCトレーニングセンター(通称:西谷)のグラウンドに、190cmの大きな影がひとつ。

 

午前中のトレーニングを終え、チームメートの大半が引き上げたあとも自主練習を続けるのは、ゴールキーパーの市川暉記だ。

 

「わざと最後に帰ろうとしているわけじゃないんですけど、自分がやりたいメニューをやってると、どうしても最後になっちゃうんです」

 

年齢的にも中堅に差し掛かるなか、この2023シーズンにかける思いは誰よりも強い。

 

「今シーズンは勝負の年です。チームには5人のGKがいて、みんな試合に出たい。アピールして切磋琢磨して、どんどん成長していければいいなと思っています。厳しい状況は続いていますが、何としてもJ1に残留してみんなで最後に笑いたいです」

 

 

今日も、西谷で、最後まで

市川暉記 GK 21


 

偶然から始まった、GKへの道

 

神奈川県足柄上郡中井町。

 

川と山と湖に囲まれた大自然のなか、男3兄弟の末っ子として市川は生まれた。

 

夏になれば木に登ってカブトムシを捕まえ、川辺ではザリガニを釣り、のびのびと育った少年は、7つ歳が離れた1番上の兄の影響で、物心ついた頃からボールを蹴って遊んでいたという。

 

 

「近くの公園で野球をしたりドッジボールをしたり、いろんな外遊びをよくしていましたけど、サッカーは兄弟3人とも大好きで、幼稚園のころから一緒に蹴っていましたね。観戦するのも好きで、日本代表戦も兄と一緒によく見にっていました」

 

 

幼少期から3兄弟でも1番身長が高く、恵まれた体格を持っていた市川は、当時所属していたサッカーチームでも重宝され、センターバックやボランチ、センターフォワードと、主に真ん中のラインでフィールドプレーヤーとしてプレー経験を重ねた。

 

 

「他の子よりもキック力はあったので、ボランチをやりながら味方の裏にロングボールを出して走ってもらうみたいなプレースタイルでしたね。GKをやったことはなかったです」

 

 

市川少年に転機が訪れたのは、小学5年生のある試合前のこと。同じチームのGKが突き指をしてしまい、急遽試合に出場できなくなるアクシデントが起こった。

 

 

「誰かがやらないといけないので、そこで監督から『お前やってみろ』と言われて。そしたら結構いいプレーができて、たまたまその試合を地区トレセンのコーチが見ていてくれて、GKとして声をかけてくれたんです。なのでしばらくは自分のチームではフィールドをやって、トレセンではGKとしてプレーを続けていました」

 

 

中学進学のタイミングでは上の2人の兄同様、サッカーをやめてバレーボールを始めようか悩んだものの、市川はサッカーを続けることを決断。自分の将来とポテンシャルを考え、GKとしてキャリアを歩むことを決め、湘南ベルマーレのジュニアユースに加入した。

 

 

 

大切なのは「言葉に出し続けること」

友人とともに受けた湘南のセレクションに合格した市川は、Jクラブの育成組織で日々の練習や試合に励み、進路についてはそのまま湘南のユースに昇格せず、高校サッカーの道を選んだ。

 

「もちろんプロになるためにはユースが近道なこともわかっていました。ただ、高校サッカーの華やかさに憧れた部分もありましたし、実力さえあれば高体連出身でも上の舞台に行けると信じていたので、いくつかお話をいただいた学校のなかから星槎(せいさ)国際高校への進学を決めました」

 

決め手となったのは、横浜FC会長(当時)であり、同校の名誉校長兼サッカー部マイスターを務める奥寺康彦氏の存在だ。

 

「当時、星槎のサッカー部自体は、選手権も1次予選の1回戦で敗退してしまうような成績でした。ただ、湘南で一緒にプレーしていた仲間も、何人か一緒に進学すると言ってくれて、このメンバーが揃えば上に行けるし、俺たちが引き上げてやるぞというつもりでしたね」

 

普段の性格こそ穏やかな市川だが、サッカーに対してはハングリーさを持ち続けていた。監督やコーチ、奥寺氏にも「自分は高卒でプロサッカー選手になる」「プロになれなければ、大学でサッカーはやらない」ということを常日頃伝えていたそうだ。

 

「奥寺さんにも『正直、厳しいと思う』ということはずっと言われてきました。それでも諦めたくなかったですし、言葉に出し続けることで結果的に周りも協力して動いてくれた。自分のなかでも責任が生まれますし、大事なことだと思っています」

 

自分たちがチームを強くすると宣言したサッカー部も、目標としていた全国高校サッカー選手権出場には至らなかったものの、県予選ベスト16入りを果たす大躍進をみせた。

 

写真:本人提供

 

 

そして、県内の強豪校である桐光学園との一戦での活躍がスカウト陣の目に留まり、練習参加の声がかかる。

 

「西谷のクラブハウスに着いて、1番最初に顔を合わせたのがカズさんだったんですよ。めちゃくちゃ緊張しましたけど、『頑張れよ』と声をかけてくれて、ちょっと感動しましたね」

 

レジェンドからの激励を糧に、3日間のトレーニングと練習試合に全力を尽くした市川は、晴れて自身の目標である高卒プロ加入の契約を勝ち取り、横浜FCのユニフォームを手に入れた。

 

 

 

長かった下積み時代

 

“有言実行”を貫き、プロサッカー選手の夢を叶えた市川だが、ルーキイヤーとして迎えた2017シーズンは、これまで経験のない大きな壁を感じたという。

 

 

「キャンプ初日からもうだいぶ厳しいなと。試合に出たいっていう気持ちだけはありましたけど、今ここで試合に出ても何もできないと最初の1、2年はずっと感じていましたね」

 

 

いわゆる“体育会系”の環境のなか、テクニカルな練習よりも運動量を増やす走りメニューやフィジカルトレーニングをこなした中高の6年間。メンタルも鍛えられたものの、GKとしての技術は自分の感覚を信じ、ほぼ独学で磨き上げてきた。

 

 

「そんな僕を、当時のGKコーチだった田北(雄気)さんが面倒を見てくれました。自分はこうした方がいいだろうとプレーしていたところから、基本的な技術だったり、プロの技術を少しずつ積み上げていきました」

 

 

キャリア3年目の2019シーズンには、レンタル移籍先のガイナーレ鳥取でJリーグデビューを果たし、選手としての自信を徐々に取り戻した市川だが、横浜FCに戻った2020シーズンも出場は0試合と、歯がゆい日々は続いた。

 

田北雄気氏と市川。

 

 

それでも自分に矢印を向け続け、真摯に練習に取り組んだ市川にチャンスが巡ってきたのは、2021年5月9日のリーグ戦第13節。

 

開幕からリーグ戦未勝利が続くなか、監督が下平隆宏氏からヘッドコーチを務めていた早川知伸氏に。

 

それでも勝ちきれない状況が続くなかで、新指揮官は先発メンバーのてこ入れを決断し、市川はアウェイ・清水エスパルス戦でJ1デビューを果たした。

 

そして続く第14節のホーム戦。奇しくも中学3年間を過ごした湘南ベルマーレを相手に、初めて三ツ沢のピッチで正GKとして90分を戦い、みごと2-0の完封勝利を成し遂げて、チームにシーズン初の勝星をもたらした。

 

 

 

 

「自分が1年目の頃からコーチとして指導してくれていた早さん(早川知伸氏)に監督が代わったあとだったので、絶対に勝って恩返しするぞという気持ちで臨みました。対戦相手がベルマーレだったというのも含めて、すごく嬉しかったですね。自分が育ったチームに成長した姿を見せることもできて、最高の結果でしたね」

 

 

その後2試合にスタメンで出場して以降、再びメンバーから外れたものの「続けること」の大切さに改めて気づかされた。

 

 

「今もそうですけど、選手としてやってる以上は自分のなかでゴールを作ってはいけないなと。試合に出れても出れなくても、腐らずやり続けてずっと成長できるようになり続けるしかないですね」

 

 

 

横浜ダービーでのリベンジへ

 

2021シーズンのJ1リーグデビュー戦に加え、市川にとってこの先も大切にしたい思い出の1試合がある。

 

「2022シーズンの最終節のアウェイの熊本戦ですね。試合の内容自体は4-3で失点もしてしまって、一時はどうなるかと思いましたけど、小学生のときから『好きな選手だれ?』って聞かれたら『中村俊輔!』っていうぐらい大好きな俊さんと、初めて公式戦で同じピッチに立って、引退試合で一緒にプレーできた。自分の人生での宝物です」

 

 

今シーズンからは選手とコーチとして中村から指導を受け、マンツーマンでの居残り練習も行っている。

 

「本当になんで引退したんだろうっていうぐらい、シュートがうまくて。最後まで自分が練習してるっていうのを知っているので、みんないなくなったタイミングで『今日やるぞ』と声をかけてくれるんですよ。俊さんと一緒に練習したいと思ってできるものじゃないですし、そのなかで指名してもらっていろいろと教えてもらえるのは、本当に嬉しいです」

 

 

今シーズンは、第5節の京都サンガF.C.戦での永井堅梧の負傷による途中出場から、ここまで3試合にスタメン出場した。

 

 

 

第7節の横浜F・マリノス戦では5失点を喫し、その責任を重く受け止めている。

 

「横浜FCは自分を拾ってくれたチームで、ここまで育ててもらった感謝の気持ちもあります。ファン・サポーターの皆さんの思いは選手の中でも一番感じているつもりですし、感じていなきゃいけない。そのなかで横浜ダービーでも5失点をしてしまい申し訳なく思います。目を背けちゃいけないと思いますし、僕だけじゃなくチームとして改善していかなければいけません」

 

 

 

 

第9節のガンバ大阪戦からはスベンド ブローダーセンが先発起用されているが、市川は8月に行われるホームでの横浜ダービーを見据えている。

 

 

「もちろん他の試合でも勝ちを積み上げなければいけない。ただ、やっぱり僕としては次の横浜ダービーに対してどれだけの思いで戦うかはかなり重要なことだと思っています。」

 

 

「声出し応援も再開されましたが、自分の個人チャントがなくて少し寂しいので、作ってもらえるような活躍を見せたいです」

 

 

 

横浜FCへの愛を胸に。

 

 

 

市川は今日も時間が許す最後の最後まで、自身のプレーに磨きをかける。

 


 

 

プロフィール

市川暉記(いちかわ あきのり)/GK

神奈川県足柄上郡中井町出身。1998年10月19日生まれ。190cm、86kg。地元足柄上郡のFC中井でサッカーを始め、湘南ベルマーレ小田原(U-15)から、星槎国際高校に入学。持ち前の高身長を生かしたセーブと足元の技術が評価され、高卒ルーキーとして2017シーズンに横浜FCに加入した。加入2年目まではメンバー外が続くなか、2019シーズンにはJ3のガイナーレ鳥取にレンタル移籍し10試合に出場。2020シーズンに横浜FCに復帰し、今シーズンで加入7年目を戦う。在籍最長選手として練習からチームを鼓舞し、虎視眈々と出場機会を狙う。プロフィールはこちら