「越えられるはずだし、越えなきゃいけない壁だと思っている」
クラブの歴史を塗り替えるため、そして自身の価値を証明するため、“ポジション奪還”への思いをたぎらせるのは、26歳の最古参GK・市川暉記だ。
2024シーズン、プロ入り8年目にしてようやくつかんだ正守護神の座。
このまま簡単に譲るわけにはいかないと、序列を再び覆すべく、トレーニングにも追い込みをかける。
「燻ってしまっては、数年前と同じ。今の自分は違うというのを示したい」
自分の場所を、もう一度取り返す──。プロサッカー選手として勝負の時を迎えている。
“もう一度、取り返す”
市川暉記 GK 21

取材・文=北健一郎、青木ひかる

2017シーズンに高卒ルーキーとして横浜FCに加入して以降、ベンチやメンバー外が続いていた市川は、ガイナーレ鳥取やガンバ大阪への期限付き移籍を経験しながら、人知れず努力を続けてきた。
そしてプロ8年目を迎えた2024シーズン、開幕戦でスタメンに抜擢されると、リーグ戦全38試合でフルタイム出場を果たし、飛躍の1年を過ごした。
「腐らずにやり続けたからこそ、今の自分がある。ただ、練習試合では感じられない強度やクオリティ、会場の雰囲気は、リーグ戦でしか味わえないものなんだな、と。その感覚を忘れないうちにまた練習できることも含め、試合に出続けることの大切さを実感できました」
最も大きな収穫は、ゴール前でのコーチングとクロス対応に磨きをかけ、“シュートを打たせないGK”という、自身のスタイルが確立できたことだ。
「ハイボールへのアタックやキャッチングについては、昔から得意かもしれないと思っていたけど、実際に試合に出て『自分の強みだな』と確信できました。GKはビッグセーブが出来たかどうかが評価されがちだけど、そもそも、打たせる状況をつくらないほうがいい。そこへのこだわりは被シュート数をはじめ数字にも現れたし、すごく自信になりました」
フィニッシュの一つ、二つ手前でピンチの芽を摘む。その「事前対応力」は、J2最少失点を記録した横浜FCの“堅守”の軸となった。
1年でのJ1復帰を果たした2025シーズン。個人としては「全試合出場」を掲げ2年ぶりの舞台に挑んだ。
「去年はずっと試合に出ていましたけど『チームの調子がよくて、ピンチが少なかったから』とか、『J2だったから』と言われるのも嫌だった。だからこそ、たとえチーム状態の浮き沈みがあっても試合に出続けて、自分の力を示したいという思いでした」
しかし、第19節の浦和レッズからの公式戦7連敗の波を止めることができず。第25節以降は、新加入GKのヤクブ スウォビィクが先発に入り、市川は控えにまわった。

「実力が全然足りないという感覚があれば、外されるのも仕方ないと受け入れられたと思います。でも、自分としてはそうじゃない気持ちのほうが強かった。今でも、ものすごく悔しいです」
クリーンシート総数で言えば、過去J1を戦ったシーズンで最も多い7試合を記録し、3失点以上を喫したのは、第13節の鹿島アントラーズ戦のみ。クロス対応の数値においては、リーグ1位をキープしており、苦しい戦いを強いられながらも悪くない数字を残していた自負はあった。
連敗から脱せなかったことへの責任は、重々感じている。一方で、J1で試合に出ながら成長することの難しさについて、ありのままの思いを口にする。
「GKの場合『チャレンジしたのはいいよね』とか『止められなかったけど、選択は間違ってない』という評価をあまりしてもらえないのは、難しいところだなと感じています。だけど、それを怖がってチャレンジを辞めるのは違うと思うので、その分責任をもってやる。そう意識を大事にしています。」
特に市川が得意とするクロスボールへのパンチングやキャッチは、ミスをすればゴール前にボールがこぼれ、決定機を“プレゼント”する場合もある。「自滅」に見える形での失点は、相手に崩されシュートを打たれるより、心象はどうしても悪くなりやすい。
「だけど、無謀なアタックをしているわけではもちろんない。自分の特徴を活かしたり、伸ばしたりは考えつつ、失点しないためのベストな選択を取っているつもりです。なので、今のスタンスをブラさずに、続けていきたいと思っています」

この1年半の経験を経て、選手としてひと回りもふた回りも大きくなった市川だが、土肥洋一GKコーチの存在は大きい。
練習の強度は高く、音を上げたくなることもしばしば。ただ、迷いや悩みがあれば親身に寄り添ってくれる。その厳しさと優しさから「憧れのお父さん」のような存在だと慕う。
「一番ありがたいのは、さっき話したような『失点したからダメ』ではなく、しっかりプレー自体の判断の良し悪しを評価して、ちゃんと言葉にしてくれること。その上で、いいチャレンジについては失敗しても評価してくれます」
思い出されたのは、第14節の川崎フロンターレ戦での失点シーンだ。
1-0で迎えた33分、直接フリーキックを与えた場面で、ニアに置いた壁の外を巻くシュートを打たれ、同点弾を許した。
技ありのゴールはSNS上でも大きな反響を呼び、キッカーのクオリティを称賛する声のほか、「なぜ壁を1枚にしたのか」「2枚にしていれば防げたのではないか」という意見が多く集まった。
後日、土肥コーチに取材をした際に返ってきたのは「これまでの市川は、あの位置なら1枚で守れていた。そこに自信をもって判断したなら、間違いではない」という答えだった。
「あのシーンも土肥さんは、壁が少しだけ動いてしまったことに気がついてくれた。でも動いてしまった味方のせいにしてはいけないし、そういうことが起こるリスクも考えた上で、このシュートは止めたいよな、と。じゃあ、次どうするかという話も自分の考えを聞きつつ、『こうしろ』ではなく『こうしていこうか』と話してくれる。なぜミスが起きたのかも次の対策も一緒に考えてくれるので、自分も納得しながらプレーができているのかなと思います」

2月15日に開幕したリーグ戦も、残り10試合を切った。
GKは先発11名の中で最も序列が変わりづらいポジションであることは、長い下積みを経験した身として誰よりも理解している。
ただ、「チャンスがまったくないわけではない」と、自分を奮い立たせる。
「ここ最近は、自分のプレーを見返して、動きのよくないところを改善することに力を入れています。身体のバランスも見直して、通っているパーソナルジムでも少しメニューを変えながら、コンディションを整えています。この数週間だけでも周りが気づくくらい効果は出てきているので、続けていきたい」
諦めていないのは、チームとして目指すJ1残留も同じこと。自らの境遇と重ね合わせながら、“目標達成”への思いを語る。
「個人としてもチームとしても、立ち止まるわけにはいかない。周りからの評価を覆してやろうという気持ちで戦うだけかなと思っています。あとは毎年言っているけど、来シーズンになって振り返った時に『2025シーズンも成長できた』と言えるように。全力を尽くしていきたいです」
市川は今日も変わらず、練習場で汗を流し続ける。
「横浜FCの正守護神は自分」だと胸を張り、ゴールマウスを守るために。

市川暉記/GK 神奈川県足柄上郡中井町出身。1998年10月19日生まれ。190cm、86kg。
地元足柄上郡のFC中井でサッカーを始め、湘南ベルマーレU-15小田原から、星槎国際高校に入学。持ち前の高身長を生かしたセーブと足元の技術が評価され、高卒ルーキーとして2017シーズンに横浜FCに加入した。2019シーズンにはJ3のガイナーレ鳥取にレンタル移籍し10試合に出場。2020シーズンに横浜FCに復帰した。2024シーズン、リーグ開幕初先発を叶え、全38試合でフルタイム出場しJ2最少失点を記録。1年でのJ1昇格に大きく貢献した。リーグ屈指のクロス対応力と飛距離に定評があるキックを武器に、在籍9年目の最古参プレーヤーとしてチームを支える。