「日本が大好きで、またプレーしたかった」
2019シーズン、栃木SCのピンチを救った頼もしい男が再びJリーグに帰ってきた。
ユーリ ララ。
強靭なフィジカルと、チーム屈指のボール奪取能力の高さで相手の攻撃の芽を刈り取るプレーで、横浜FCの中盤に君臨する。
試合でのファイターな一面とピッチ外で見せる柔和な人柄は、老若男女から愛される「スーパーヒーロー」そのものだ。
このチームを救いたい──。
その強い思いは勝点となり、クラブ史上初のJ1残留へと繋がっていく。
救世主、再び。
ユーリ ララ MF 4
取材・文=北健一郎、青木ひかる
生まれは“情熱の港町”リオデジャネイロ。
海岸沿いからは少し離れた内陸に位置するパヴナ地区の小さな街で、ユーリは両親と2つ離れた妹とともに幼少期を過ごした。
「今と変わらず、明るく活発な性格でした。どこの街でもそうですが、“リオっ子”たちは小さい頃から当たり前のようにサッカーをしていて、自分も同じように物心ついた頃からボールを蹴っていましたね」
小学校を卒業するまでは、近所の友達といわゆる“ストリートサッカー”を楽しみ、チームを作って大会にも出場しながら、基礎能力を高めた。
そんなユーリがプロサッカー選手を目指し、オラリアACの育成組織に加入したのは12歳になってからのこと。
「当時からボランチのポジションが好きでした。前線で試合に出ることもありましたけど、クラブの監督にも評価されていたのも守備の部分で、やはり相手のボールを奪う力には自信をもっていましたね」
チームキャプテンも務め主力として経験を重ねたユーリは、17歳でECバイーアのユースに拠点を移した。
1年でトップチームの監督の目に留まると、2種登録という形でトップチーム昇格を勝ち取り、18歳で念願のプロデビューを叶えた。
「バイーアはサルバドールという街にあるクラブで、環境も良くて、サッカーもオーガナイズされていました。自分の基礎を作ってくれたチームだと思っています」
2015シーズンはリーグ戦27試合、カップ戦も含め合計38試合に出場。
幸先の良いキャリア1年目を過ごした。
順風満帆にプロ生活をスタートしたものの、2年目はチーム内のポジション争いも激しくなり、徐々に出場機会が減少した。
3年目の4月には半月板損傷に伴い手術を行ったことで、リハビリ生活を余儀なくされ、思うようにいかない日々が続いた。
プロ4年目の2018シーズンには心機一転を図り、アラゴアス州に本拠地を置くCSAへの期限付移籍を決めた。
この決断が功を奏し、新天地で公式戦42試合に出場。
ところが、シーズン終盤に再び膝を痛めてしまい、そのままCSAとの契約期間が終了してしまった。
思いがけない一報が舞い込んだのは、怪我から復帰した折のこと。
シーズン途中にJリーグの栃木SCから、力を貸してほしいと声がかかったのだ。
「自分の友達も日本でプレーしたことがある選手がいて、『いい国だよ』とは聞いていたので、いつかは行きたいなと思っていたんです。ただ、本当にこんな機会がもらえるとは思いませんでしたし、運が良かったなと。迷わず即決しました」
2019年8月、ユーリは生まれ育った母国を飛び出した。
初めての海外移籍に胸を躍らせる一方、問題も山積みで「簡単なシーズンではなかった」と振り返る。
「夏に加入したので、今まで経験したことのないような暑さに体が慣れるまでが大変でした。リオも暑い街ですけど、海岸沿いでかなり風が吹くんですよ。それに比べて日本は湿度も高くて、かなり違いがありました。チームの状況も下から2番目という難しい状況で、なんとかしなければという気持ちでしたね」
加入早々の8月17日、FC町田ゼルビア戦でJリーグ初出場を飾ったユーリは、先発メンバーとして90分を戦い、スコアレスに抑えた。
さらに11月10日のアルビレックス新潟戦で初得点をマークし勝点3をもたらすと、この勝利をきっかけに、栃木は残り4戦を3勝1分で走り抜け、最終節で降格圏を脱出。Jリーグ史にも残る、奇跡の逆転J2残留を果たした。
“助っ人”として大きな実績を作ったユーリは、そのまま日本に留まることを望んでいた。
しかし所属元のECバイーアは期限付移籍延長に応じず、ブラジルへの帰国が決定した。
「バイーアに戻りましたが、そのあと2つのクラブを渡り歩きました。その間も、また日本で……。と思っていたのですが、新型コロナのパンデミックの影響でそれも難しくなってしまって。でも、自分としてはいつでも日本に戻りたいという気持ちでした」
2022シーズン、セリエB(ブラジル2部)のCRヴァスコ・ダ・ガマに加入したユーリは40試合に出場し、1部昇格に貢献した。
そして、パフォーマンスに自信を取り戻したユーリのもとに、待ちに待った日本からのオファーが届いた。
しかも今度はJ1クラブから、完全移籍での契約が提示された。
ヴァスコに残ってセリエAでプレーすることも当然魅力的なことだったが、それでも『Jリーグでもう一度戦いたい』という心は揺らがなかった。
今度のミッションは、「J1残留」。
任された大きな期待に応えるべく、ユーリは再び海を渡り、晴れて横浜FCの一員となった。
2023シーズンが開幕し、ユーリにとって4年ぶり2度目の日本での生活がスタートした。
栃木と横浜とでは土地柄も大きく異なるが、チームメートのマテウスモラエス、マルセロヒアン、カプリーニのブラジル人勢の助けもあり、すぐに馴染むことができたという。
「サッカーについても、栃木はどちらかというとロングボール主体でしたが、横浜FCは、他の選手との連携も大事にするスタイルなので、そこの違いは感じています。今のチームのほうが、ボールを奪って攻撃へ繋げる自分の特徴を発揮しやすく、フィットしているのかなと思っています」
開幕当初は、チーム全体が新しい戦術に適応しきれず不協和音が続いてしまった。3バックに編成を変えてからは徐々に内容も向上し、ボランチの相方である井上潮音とも、互いの良さと足りない部分を補い合いながら信頼関係を構築している。
異国の地でも第一線で戦い続けられるのは、「家族の存在も大きい」と言う。
昨年入籍した4歳年下のヴィクトリアさんは、ECバイーア時代から、7年連れ添った最愛の存在だ。
栃木時代は単身で来日しなければならなかったが、今は一緒に日本で暮らすことができている。
「自分だけでなく、家族が生活する上でも安全で快適なことが、僕が日本でプレーしたい理由の一つでもあります。できることならずっと、日本でキャリアを過ごしていきたい」
10月21日に行われたFC東京戦では、生後4カ月の愛娘を抱いて入場し、初めて一緒にピッチに立つことができた。
チームは5試合ぶりに勝利を飾り、個人としてもMIPにも選ばれたこの試合は「一生忘れられない思い出になった」と笑顔を見せる。
「もちろん、横浜FCのファン・サポーターも自分にとって欠かせない存在です。FC東京戦も、ずっと自分のチャントを歌ってくれました。試合後のセレモニーもお気に入りなので、湘南ベルマーレ戦でも娘を抱いてパワーをもらい、勝ってまたビクトリーステージに立ちたいです」
愛する家族と大切なファン・サポーターの想いを胸に、ユーリは再び救世主として、運命の最終決戦に挑む。
ブラジル・リオデジャネイロ州出身。1994年4月20日生まれ。173cm、74kg。オラリアACの育成組織でサッカーを始め、ECバイーアのユースに加入したのち18歳でトップ昇格を果たした。ルーキーイヤーには公式戦38試合に出場するも、2年目以降は怪我の影響もあり出場機会が減少。2018シーズンは出場機会を求めCSAへ期限付移籍。2019シーズンにECバイーアに戻ったのち栃木SCからオファーを受け、半年間で10試合に出場。大一番の場面では得点も決め、J2残留に大きく貢献した。栃木との期限付移籍満了後は、オエステFC、フェロヴィアリアをわたり、2022シーズンにCRヴァスコ・ダ・ガマに加入。主力として1部昇格をけん引し、2023シーズンから横浜FCに加入した。最大の武器は強靭なフィジカルを生かしたボール奪取能力。相手の攻撃を阻止しカウンターの起点となるプレーで、横浜FCの中盤を支える。プロフィールはこちら。