取材・文=北健一郎、青木ひかる
2022年12月20日。
横浜FCのもとに、少し早めのクリスマスプレゼントが届いた。
「井上潮音選手、完全移籍加入のお知らせ」
東京ヴェルディのアカデミー出身で、各年代の代表チームに名を連ねてきた。
柔らかいボールタッチと、多彩なアイデアで、ワンプレーで試合の流れを変えてしまう。
「J1のチームでもっと試合に出たい」
クールな雰囲気をまといながら、とびきり負けず嫌いな男は、ギラギラと燃えている。
「巧い選手から、怖い選手になりたい」
自ら殻を破ろうとしている井上潮音から目が離せない。
1997年8月3日、神奈川県藤沢市で、6人兄弟の長男として井上は生まれた。
「潮音」という名前は、海が好きな両親のこだわり。家族全員の名前には、部首の「さんずい」が付く漢字が使われている。
休日は家族みんなで近くの海岸で泳いだり、ボディーボードに乗ったり。
幼少期はのんびりとした“湘南ライフ”を過ごした。
初めてサッカーに触れたのは、2002年の日韓ワールドカップだった。
当時5歳の井上はカナリア色のユニフォームを着てピッチで躍動するロナウジーニョとロナウドの2人に魅了された。
小学校1年生で東京に引っ越すと、新天地で出会った友人から誘われたことをきっかけに、サッカースクールに通い始めた。
それから井上の生活は一変する。
「とにかく、サッカーにのめり込んじゃったんです」
朝起きたらボールを蹴って、ドリブルをしながら学校に行った。
休み時間も学校が終わってからも、サッカー、サッカー、サッカー。
ここまで夢中になれた理由はなんだったのだろうか。
「楽しかった。ただただ、楽しかったんだと思います」
3年生の時。
その才を見抜いたジャクパ指導者から、東京ヴェルディジュニアのセレクションを受けることを薦められる。
しかし、井上はセレクションを受けることに前向きではなかったという。
「正直、行きたくなかったんです。仲の良い友達とサッカーをするのが楽しかったから、6年生まではそのまま続けたかった」
だから、セレクションに合格した時には涙を流したという。
「うれし涙ではなく、離れるのが寂しくて泣きました」
仲間との別れに後ろ髪を引かれながらも、ジャクパで過ごした倍近くの時を過ごす、東京ヴェルディでのキャリアがスタートした。
数多くの選手をプロに送り込んできた東京ヴェルディの育成組織の中で、井上は実力を磨いていく。
「子どもの頃からプレースタイルは大きく変わっていません。ずっと身体が小さかったので、大きな相手に当たり負けしてしまう。ボールを大事にする、二手三手先を読む、頭を使ってプレーする。それは大事にしてきたことです」
井上を勇気づけたのは、当時世界最強と言われていたスペインのバルセロナだった。
特に憧れていたのが、のちにヴィッセル神戸でチームメイトとしてもプレーする、アンドレス・イニエスタだった。
「バルセロナや、イニエスタを見ていると自信が持てたというか。自分よりも大きな選手にも、こうすれば勝てるんだと。サッカーがもっともっと楽しくなっていったんです」
あれから10年以上の時が過ぎ、Jリーガーとして同じユニフォームを着て戦うことになることは、まだこの時は知る由もない。
ジュニア、ジュニアアユース、ユースへ順調にステップアップした井上だが、高校時代に大きな“しくじり”も経験している。
高校1年時のJユースカップの試合で、井上を含めた準備担当の1年生がチームバスにボールを積み忘れてしまい、まともにアップができず、そのまま試合にも負けてしまった。
「そのせいで、1年生が連帯責任で坊主になりました。突然坊主になって学校に行くから、何があったんだ? みたいになって……。ある意味、ユース時代に一番記憶に残っている出来事です」
小学校3年間、中学校3年間、高校3年間の9年間をヴェルディで過ごし、高い技術を身に付けた。井上によれば、技術面以外にも学んだことがあったという。
「負けず嫌いなところですね。監督もコーチも、小学生の僕たち相手にも本気でボールを取りに来て、僕たちも本気で取りに行く。勝負にこだわる姿勢は、ヴェルディですごく強くなったかなと思います」
高校3年の夏には2種登録でトップチームに参加し、2016シーズンから、正式にトップチーム昇格を果たした。
2016年5月3日、J2第11節のモンテディオ山形戦で初出場。高卒ルーキーながら1年目から試合に絡んだ。
「初めてもらったお給料で、母親にマッサージチェアを買ってプレゼントしました。もともと大家族だったし、すごく裕福な環境で育ったわけでもなかったので。今までの感謝も込めて」
東京ヴェルディではJ1昇格を目指した。
2017、2018シーズンと2年連続でのJ1昇格プレーオフに進出したものの、2年連続で敗退。
目の前まで手繰り寄せたからこそ、より、その舞台への思いは強くなった。
「J1でプレーしたいという気持ちはすごく大きかったです」
東京ヴェルディで中心選手となったプロ5年目のシーズンを終えた井上に届いたのは、関西のJ1クラブ・ヴィッセル神戸からのオファーだった。
「たくさん考えましたし、簡単な決断ではなかったですね。いろいろな人に相談しました」
背中を押してくれたのが、トップ昇格1年目の監督を務めていた、冨樫剛一氏の言葉だった。
「家族が喜ぶ選択をしたらいいと。家族は僕がJ1でプレーする姿が見たいとずっと言ってくれていて、見せられるチャンスがある。でも、ジャクパからヴェルディに行く時と同じように、最初は離れるのが嫌だなという気持ちが強かったです」
初めて関東を離れ、関西に移り住んでの2年間。
1年目こそ22試合に出場したものの、憧れの存在だったイニエスタがケガから復帰したことで、皮肉にも自身の出場機会が奪われることとなり、2年目はわずか7試合の出場に留まった。
「J1のチームでもっと試合に出たい」
そんななか届いた、横浜FCからのラブコール。
これまでキャリアの選択に悩んだ井上だったが、迷うことはなく、オファーを受けることを決断した。
横浜FCには、同じ1997年生まれの小川航基、山下諒也が所属し、ヴェルディ時代にチームメートである新井瑞希も、同じタイミングでの加入が決定した。
開幕スタメンを勝ち取った井上は、ワントップの小川の後ろ、“トップ下”のポジションでプレーしている。
「航基の活躍を見ていると、うれしいという一方で、悔しいなという気持ちも正直あります。自分も結果を出さなきゃいけないと」
これまで主戦場としてきたボランチと異なり、トップ下ではよりゴールに直結するプレーがこのポジションでは求められる。
「キャンプ中はボランチで起用されていたんですが、ある試合からトップ下になりましたね。このポジションを任されている以上は、アシストやゴールが絶対に必要だし、それができなければ試合では使ってもらえなくなってしまう」
井上にとって幸運だったのは、日本最高峰のトップ下だったレジェンドがコーチにいることだろう。
昨シーズン限りで引退し、今シーズンからコーチを務める中村俊輔だ。
「俊さんからは『潮音らしく自由にやったほうがいいよ』と言ってもらっています。あれだけの経験を持った選手から教えてもらえるのは本当に大きいです」
第2節のアウェイ湘南戦でも、ボレーシュートを左ポストに当て決定機を逃したシーンがあり、「あそこで決められる選手か、決められない選手かが大きな差」だと苦い表情を浮かべた。
巧い選手から、怖い選手へ――。
堅い決意を胸に、井上潮音の新たな挑戦は、まだはじまったばかりだ。
神奈川県藤沢市出身。1997年8月3日生まれ。身長167cm、体重60kg。JACPA東京FCでサッカーを始める。小学校途中で東京ヴェルディジュニアへ加入後はジュニアユース、ユース時代を東京ヴェルディ過ごす。2016年に東京ヴェルディトップチームへ昇格。同年5月3日2016明治安田生命J2リーグ 第11節 東京ヴェルディ(vsモンテディオ山形@味スタ)でプロデビューを果たした。2021年にヴィッセル神戸へ完全移籍加入。2023年横浜FCへ完全移籍加入し開幕戦先発出場。優れた状況判断能力と繊細なボールタッチを武器に攻撃を司る攻撃的ミッドフィルダーだ。プロフィールはこちら。