取材・文=北健一郎、渡邉知晃
「いつか日本に行きたかった」
ガブリエウは、その夢を叶えた。
昨シーズン、横浜FCをJ1に残留させるために来た男は、飛躍的に守備を向上させた。
だが、大一番となった湘南ベルマーレ戦で負傷交代。守備の要を失ったチームは逆転負けを喫し、J2へと降格した。
過去は取り戻すことはできない。だからこそ――。
再びJ1のピッチに立つために、ガブリエウは自らの役割を全うしている。
日本での旅は、まだまだ終わらない。
“守備の要”と呼ぶにふさわしい。
2021年7月に加入し、横浜FCの最終ラインを支えているのが背番号5番のガブリエウだ。
サッカー王国ブラジルのミナスジェライス州ペドロ・レオポルドで生まれた。
当時住んでいたベロオリゾンチという街は、ブラジルの中でも3、4番目に大きな街だった。
「幸いなことに、自分の両親と兄弟を含めて幸せに暮らしたという記憶があります」
いつも明るく健やかな家庭で育ったことが、ガブリエウの「明るさ」につながっている。
「本当に家族の愛、優しさ、そういう全てのものに感謝したいと思っています」
幼少の頃から活発で、家の中でゲームやおもちゃで遊ぶことよりも家族や友達と外で遊ぶことが好きだった。
アクティブだった家族の影響もあり、地元の小さな小学校でサッカーを始めることになる。
「お父さんがアマチュアのサッカーチームを持っていた影響で、小さい頃から毎週末お父さんに連れられて試合を観に行っていたので、自分の中にはサッカー愛、フットボール愛が備わっています」
多くのタレントを世界に輩出しているブラジルでは、すべての子どもがサッカー選手を目指すと言われる。
その競争を勝ち抜いてプロになるのは極めて狭き門といっていい。
ガブリエウもまたその1人だった。
「自分の夢でもあるし、両親の夢でもあるサッカー選手になるという夢を小さい頃から持ち続けていました」
幼少期はセンターフォワードとしてゴールを決めるのが大好きだった。
しかし、ある練習試合で相手チームにいた大型FWをマークするために、センターバックとしてプレーしたことがガブリエウの運命を変える。
ブラジルでは、センターバックのことを”ザゲイロ”と呼ぶ。
結果的にガブリエウはザゲイロのポジションでプロへの道をつかみ取ることになる。
「今思えば、前線のポジションから後ろのポジションに変えたというのは、幸運だったのかなと思っています」
それから数週間後、ブラジルの名門クラブのアトレチコ・ミネイロ戦にセンターバックとして出場すると、突出したパフォーマンスを見せたガブリエウに練習参加の声がかかった。
「テストを受けて運よく受かって、そこから15年ほどアトレチコ・ミネイロでやらせてもらいました」
ガブリエウのストロングポイントの1つに、空中戦のヘディングの強さがある。
セットプレー時にはターゲットとなってゴールやアシストをすることも多い。
これも育成年代からの練習の賜物だという。
「最初からヘディングが強かったわけではありません。アトレチコ・ミネイロの育成でたくさん練習を積んだ結果、ヘディングが強い選手になれたと思っています」
「いつか日本に行きたかったので、今、日本でプレーができていることをとても幸せに思っています」
ガブリエウが日本に来てから早くも1年が経った。
オフの日は家族とともにいろいろな場所を訪れて、”浴衣”を着るなど日本の文化にも積極的に触れている。
「日本の文化というのは素晴らしいものがあると思っています。教育も高いレベルにありますし、日本の人たちはすごく優しいです」
日本に来たブラジル人選手が、日本のサッカーに適応するのに時間がかかることがある。
その理由は、日本とブラジルではサッカーのスタイルが違うということが大きい。
ブラジルに比べると日本のサッカーについては「すごく速くてインテンシティーが高い」という。
「日本は特にトランジションのところや、ボールを奪いに行く強度が高いなと感じています。日本で新しいことを学ばせてもらっていますし、近代のサッカーに通用するような技術を兼ね備えたセンターバックになりたいと思っています」
そして、ガブリエウにはもう一つの“家族”がいる。
横浜FCに在籍する6名のブラジル人選手たちだ。
「グラウンドの外でも集まって一緒に食事をすることもありますし、まるで家族のようにいつも一緒に過ごさせてもらっています」
自分よりも後から横浜FCに入ってきたブラジル人選手に対しても「ウェルカムな気持ち」で迎え入れているという。
「横浜FCの助けになるという同じ目的を持った仲間なわけで、早く日本の生活に慣れることができるようにサポートしています」
しかし一方で、J1での外国籍選手のエントリー枠は5名、J2は4名と限られたメンバー入りの枠を争うライバルであるのも事実だ。
練習や試合で結果を残して監督にアピールし、メンバー入りやスタメンを争うのはプロとして当たり前のことである。
その中で最も大事なことは「リスペクトを持つ」ことだとガブリエウはいう。
「ひとりひとりがやるべきことをやった上で、最後に選手を試合に送り出すのは監督なので、自分たちは選手としてできることをしてクラブの役に立てるようにといつも考えています」
「できる限りのことをして、チームをJ1に残すという役目でここへ来ました」
ガブリエウは昨シーズンの途中から、チームをJ1に残留させるために、そして守備を安定させるために横浜FCにやってきた。
昨季の7月22日に来日し、新型コロナウイルス感染症による影響で14日間の隔離期間を経てチームに合流した。
すると、数日後に行われた東京オリンピックによる中断明けの初戦である名古屋グランパス戦で早くも出場し、2-0の勝利に貢献した。
チーム合流からわずかな準備期間で試合に臨んだが、しっかりと結果を残した。
ガブリエウ加入後の横浜FCは守備が安定し、目に見えて失点数が減っていた。
そんな中、J1残留に向けて勝負の終盤戦にさしかかってきた第33節の湘南ベルマーレ戦で不運に見舞われる。
「怪我の影響で途中交代せざるを得なかった。あの時の悔しさは本当によく覚えています」
残留に向けた大事な試合でのアクシデント。
守備の要を失った影響は大きく、その後チームはJ2降格という悔しい結果でシーズンを終えることになってしまった。
それでも横浜FCに残ったガブリエウは、新たな目標へ走り出した。
「過去は取り戻すことはできません。J1に上がるチャンスがあるので、そこに全ての力を注いでいきたいです」
今シーズンも終盤戦を迎え、現在の横浜FCは自力でのJ1昇格、そしてJ2優勝を狙える位置につけている。
残り試合数が少なくなってきたことで、ここからはより1点の重み、1試合の重みが増してくる。
「一つ一つの試合が本当に大事な“決勝戦”のつもりでやっていきたいと思っています」
首位争いの中、周りから追われる立場ではあるが、ガブリエウが強調したのは「自分たちのやるべきことをやる」ということだった。
「とにかく自分たちは勝つことに100%のエネルギーを注いでやっていきたいと思います」
もちろん戦うのは選手たちだけではない。
ガブリエウが「とても大事な存在」と話すサポーターも共に戦っている仲間だ。
「自分たちに勇気を与えてくれますし、モチベーションにもなっています」
たくさんの仲間と共に、歓喜の瞬間を迎える。そのためにガブリエウは戦い続ける。
ガブリエウ(Gabriel Costa Franca)/DF
ブラジル出身。1995年3月14日生まれ。181cm、78kg。母国のクラブ、アトレチコ ミネイロでプロデビュー。ボタフォゴへの期限付き移籍を経て、2021シーズン夏に横浜FCへ加入。2021年8月9日2021明治安田生命J1リーグ 第23節 名古屋グランパス戦でJリーグ初出場を果たす。瞬く間にポジションを確立し、苦しんでいたチームのシーズン後半戦を支えた。優れた状況判断能力、カバーリング能力の高さ、コミュニケーションにも長けたディフェンダー。プロフィールページはこちら。