横浜FC

約3週間の中断期間明け、一発目の上位対決となった第25節のジェフユナイテッド千葉戦。

 

 

0-1で迎えた90+1分、劇的な逆転勝利の引き金となる同点弾を決めたのは、今季FC岐阜から加入したアタッカー・村田透馬。

 

 

チーム指折りのスピードでサイドを駆け上がり、相手を華麗に交わしてゴールに迫るそのプレーは日に日に切れ味を増している。

 

 

 

「J3ですごかったではなく、J2、J1でも通用する選手になりたい」

 

 

 

恐れ知らずのドリブラーが、横浜に歓喜の渦を巻き起こす。

 

 

駆け上がる、横浜の韋駄天

村田 透馬 FW 20

取材・文=北健一郎、青木ひかる

憧れだった、“青黒”のユニフォーム

「昔はちゃらんぽらんだった」

 

 

自分のことをそう話す村田透馬は、大阪府堺市生まれ。

 

 

明るく陽気な母親と、寡黙な父、父に似た姉との4人家族で育った。

 

「もともとは野球派で、小さい頃はキャッチボールをして遊んでいました。でも、一番仲が良かった友達がサッカーを始めて、土日に全然遊べなくなってしまって……。一緒のチームに入れば、会える時間が増えるなと思って小学校のチームに入りました」

 

 

「友達ともっと会いたい」

 

 

そんな可愛らしい理由で始めたサッカーだったが、もともと体を動かすことが好きだったこともあり、すぐに夢中になった。

 

憧れだったのは、地元のクラブ・ガンバ大阪。

 

 

当時期待のルーキーだった宇佐美貴史の背中を追いかけ、小学5年生でガンバ大阪のスクールに加入した。

 

 

一方で、意外な特技はピアノ。

 

 

3つ上の姉の影響を受け小1から習いはじめ、学校行事の演奏会などでも伴奏に抜擢される腕前だったそうだ。

 

 

「とにかく遊ぶことが大好きだったんですが、今思うと1週間のうち、習い事でかなりの時間を使っていたんだなと。隙間の時間をうまく見つけて友達と会っていたのかな?ちょっと今、自分でもびっくりしています」

 

 

小学校の少年団に加え、ガンバ大阪のスクール、そして足元の技術も身につけるべくフットサルも始めた村田。

 

 

ただ、今の武器になっているドリブルは「全然うまくはなかった」と振り返る。

 

 

「足の速さでとにかく裏に抜けて……というタイプで、地区大会で優勝して得点もたくさん取っていました。小学5年生からフットサルも始めたんですけど、今思い返すとそこでドリブルが得意になったわけではなくて(笑)。ただサッカーもフットサルも周りはうまい選手が多かったから、自分もできていると思ってました」

 

 

村田は当時の自分を「根拠のない自信」と話すが、そのアグレッシブなプレーが評価され、晴れてジュニアユースへの昇格が決定した。

サッカーから離れた1年間

サッカーを始めてから、憧れだったトップチームとお揃いの“青黒”のユニフォームを手に入れた村田。

 

 

ところが、あるきっかけで幼少期の「友達ともっと遊びたい」という欲求が再燃。サッカーから離れ、横道にそれていた時期があったという。

 

 

「中1の夏過ぎにオスグッドが悪化してしまって、1カ月くらい練習を休むことになったんですが、その間にチームメイト以外の友達と遊ぶ時間が増えて楽しくなっちゃって。親とか先生には『サッカー選手になる』とずっと言い続けていたし、サッカーが嫌いになったわけでは全然ないんですけど……。グラウンドが家から遠かったこともあって、ちょっと怪我が長引いてることにして、ずっと休み続けてました」

 

 

そんな村田に表向きには何も言わず見守りながらも、サッカーに戻るきっかけを作ろうと影ながらアプローチし続けてくれていたのが、誰よりも応援してくれていた母だった。

 

 

「僕に直接いろいろ言ってくることはなかったんですよ、『好きにしな』って。でも、友達のお母さんとどうやってサッカーに向き合えるようにするか、というのをずっと考えていてくれて。走るのも好きだったので、市のマラソン大会に出てみればと言われたんですよ。やる気になると負けず嫌いなので、頑張って走る練習をして、結果3位に入賞できました。そこで、勝負事とかスポーツってやっぱり楽しいなと……。チームも1個上の先輩が全国大会に出場しているのを見て自分も全国を経験したい、やっぱり頑張りたいという気持ちがちょっとずつ戻って、中2の夏から復帰しました」

 

 

ジュニアユースの監督も一度は横道にそれた村田に「少し明るく染めてしまった髪の毛を戻すこと」「3カ月間練習を休まず、全力で取り組むこと」をチームに戻る条件として提示。

 

 

村田はその“決意”として自ら頭を丸め、心を入れ替えて無我夢中にボールを蹴り続けた。

合言葉は、“エンジョイフットボール”

紆余曲折しながらも、サッカーの道を貫くことを決めた村田は中学を卒業後、自らの意思でガンバユースではなく興國高校に進んだ。

 

 

「ユースの練習に参加させてもらってはいたんですが、イメージしていたチームの雰囲気とかプレースタイルと少し違うなと感じたところがありました。もう少し、自分に合った環境を探したいなと思って、第一候補に考えていたのが前橋育英高校。でも、中3の夏にケガをしてしまって……。どうしようと思っていたときに興國高校と練習試合をすることになりました。1年生で世代別の日本代表に選ばれている選手がいて、めちゃくちゃうまかったし、サッカーもすごくおもしろくて、いいなと。今の自分に足りないことが、このチームでなら一番補えるかもしれないなと」

 

 

高校サッカーの晴れ舞台である全国高校サッカー選手権への出場は、進学した2015年時点でゼロ。

 

 

だが、「個の力」を磨くことに重きを置く指導方針に惹かれた村田は、全国有数の「Jリーガー輩出校」の門戸を叩いた。

 

「入学前の練習会の時点で、周りは自分よりもはるかにうまかった。入学してからも、まずドリブル練習から始まるんですけど、僕が一番下手くそでした。あとは個の強みを発揮できるようにというベースがありつつ、チーム戦術もすごく細かく用意してあったので最初は苦労しました。イライラする時期もあって、コントロールができなくなってメンタルコーチをつけたときもありました」

 

 

そんな村田に対し、内野智章監督(当時/現スーパーバイザー)は、“エンジョイフットボール”の精神を何度も繰り返し伝え続けた。

 

 

 

「どんなときも楽しむ心を忘れずに」

 

 

 

最初は耳に入らなかった内野監督からの言葉も、できることが増えていくうちに「遊ぶこと」が大好きな村田の性格にピッタリとマッチ。

 

 

負けず嫌いな性格も「イライラ」ではなく「もっとうまくなりたい」というポジティブな向上心に変換され、苦手だったドリブルもいつしか誰にも負けない強みとなった。

大先輩の背中を追いかけて

自らの殻を破り「サッカーを全力で楽しむこと」ができるようになった村田は“背番号10”をつけ、興國のエースとしてチームをけん引した。

 

そんな姿を見ていち早く声をかけたのが、FC岐阜だった。

 

 

「大学進学は一切考えていなかった」村田は、迷うことなくオファーを受け、高校3年の夏に特別指定選手として待望のJリーグデビューを飾った。

 

 

プロ入り後最初の2シーズンは怪我に悩まされたが、3シーズン目の2021シーズン以降は主力メンバーに名を連ね、プロ5年目の2023シーズンについにブレイク。リーグ戦33試合に出場し、5得点をマークした。

 

 

「怪我で出れなかった時期も含めて、岐阜ではいろんなことがありましたね。特に、柏木陽介さんや宇賀神友弥さんをはじめ経験豊富な選手たちと一緒にプレーできたのは、大きな財産になりました。親身になって相談にも乗ってくれましたし、『お前は絶対J1で活躍する選手になれる』と言ってもらえたことは、今でも心の支えになっています」

 

 

かつて日の丸を背負って戦った、ベテランからの貴重な助言。

 

 

加えて、もうひとつプロの世界での指針となっているのは、自分と同じく興國高校からFC岐阜を経由し、世界に羽ばたいた、古橋亨梧(現セルティックFC/スコットランド)の存在だ。

 

 

「移籍が決まったと聞いた時は、すごいところまで行ってしまったなと……(笑)。でも、自分もそういう場所に立ちたいという気持ちが強くなりました。この間もマンチェスターシティ相手にゴールを決めていた試合もしっかり見ましたし、モチベーションになっています」

 

 

目標がさらに引き上がった村田は、2024シーズンを前に5年過ごした岐阜を離れることを決断。

 

 

カテゴリーをひとつ上げ、1年でのJ1復帰を目指す横浜FCの一員となった。

 

急成長のきっかけとなった、ホームいわき戦

村田にとってプロデビュー後、初めて関東クラブでのシーズンが始まった。

 

 

主戦場となっているのは、左のウイングバック。

 

 

守備時は最後尾、攻撃時は最前線と攻守どちらでも重要なタスクを担う初めてのポジションで、村田は求められる役割や課題と向き合いながら、猛スピードでレベルアップを遂げている。

 

 

その象徴となったのが、いわきFC戦の2試合だ。

 

 

「ホームでのいわき戦は、ずっと昔から言われていた背後を狙われて入れ替わられて……。攻撃ではやれる部分を見せられたところもあるけど、結果2失点に絡んでしまいました。横浜FCに来て初めて先発で出たので、僕のプレーの強みだけでなく弱みもみんなに印象付ける試合になってしまいました」

 

しかし、そこから2カ月半後に行われたアウェイでのいわき戦では、守備でも相手との競り合いに負けることなく、相手の良さをほぼ完封。

 

 

90+2分には、ゴール前の混戦からボールを収めた村田が渾身の一撃を放ち、ストーリー性溢れる移籍後初得点を決めて見せた。

 

 

「普段だったらああいうところではパスを出すと思うんですけど、『やってやる』というエゴが出ましたね。チームのみんなからも“因縁の相手”と言われていたので、あの試合で初ゴールが生まれて本当によかったです」

 

 

ここ数試合は途中出場が多くなっているものの、「少ない時間でもアシストやゴールという結果を残すことにこだわりたい」と語る。

 

 

「個人としてももちろんですけど、チームの目標である昇格を必ず叶えて、来シーズンはJ1で活躍できる選手になれるように。残り12試合全力で戦います」

 

 

“横浜の韋駄天”のサクセスストーリーは、まだ始まったばかりだ。

 

PROFILE

村田透馬/FW

2000年7月22日。173cm、64kg。地元の少年団・深井FCでサッカーを始め、小学6年生でガンバ大阪堺ジュニアに加入。ジュニアユースに昇格し、中学卒業後は自らの意思でユースではなく高校のサッカー部でプレーすることを決意。興國高校でドリブルの技術を磨き、エースナンバーの“背番号10”を付け主力として活躍。2018年春にFC岐阜から声がかかり、同年夏に特別指定選手としてJリーグデビューを叶えた。正式にチームに加入後の1年間は怪我の影響で年間8試合の出場に留まったが、3年目以降徐々にコンディションが安定。2023シーズンは33試合に出場し5ゴールをマーク。5年在籍した岐阜を離れ、完全移籍で横浜FCに加入した。華麗なドリブルと、幼少期から強みのスピード突破で相手を抜き去り、昨シーズンを上回るアシストとゴール量産に燃える。