横浜FC

スルーパスへの反応の速さ、相手の逆を突きするりとかわす1対1、跳力を生かした打点の高いヘディング……。

 

 

ボールを受ければ、真っ先にゴールに向かう室井彗佑のプレーは、観客をドキドキとワクワクの渦に巻き込む力をもつ。

 

 

「暑さは苦手なんですけど、だいたい夏場は調子がいいんです(笑)。今シーズンはFWとして結果にこだわりたいし、もっともっとたくさん点を取りたい」

 

 

数カ月遅れで登場した貪欲なゴールゲッターが、この夏の主役を担う。

 

 

三ツ沢で輝く、HAMABLUEの彗星

室井 彗佑 FW 33

取材・文=北健一郎、青木ひかる

一目置かれる、武蔵野のスター

2000年4月17日、プロフィール上の出身地は東京になっているが、厳密には福島県で室井は生まれた。

 

生後間もなく東京・西東京市に引っ越し、6つ上の長男、3つ上の次男と両親に囲まれながら、末っ子らしいやんちゃで陽気な少年に育った。

 

 

「父親は野球が大好きだったので、よくキャッチボールを一緒にやっていました。たぶん3兄弟のうち、誰かしらに野球をやってほしかったとは思うんですが、全員サッカーです(笑)。僕も兄の影響で気づいたらボールを蹴っていたし、サッカーのことしか考えてなかったですね」

 

 

幼少期から、足の速さはピカイチ。

 

 

当時からスピードタイプのストライカーとしての才能を発揮していた室井は、地元の少年団からもうひとつ高いレベルに身を置きたいと、セレクションを経て横河武蔵野FCジュニアの一員となった。

 

「当時、自分は利き足の右足しか使えなかったんですけど、横河に入ってみたら、チームメイトはみんな当たり前のように逆足で蹴ってるんですよ。これがクラブチームなのか……と衝撃を受けたことは今でも良く覚えています。そこから必死に練習して、どうにか左足でも蹴れるようになりました」

 

 

横河武蔵野は育成に定評がある東京の名門チーム。ただ、Jクラブに入れずに「ここからやってやるぞ」と野心をたぎらせる選手も多く、そんな環境で室井も仲間と切磋琢磨しあいながら、FWとしての技術を磨いた。

 

 

「小学生から高校を卒業するくらいまでは、とにかくボールを持って走ることだけで勝負していました。それでも中学までは本当に順調でしたね。自分が一番と思っていた訳ではないですけど、ある程度は通用するなと感じてはいました」

 

 

自慢のスピードに加え、Jリーガーへの登竜門であるトレセンや主要大会では必ずスコアを動かす決定力は高く評価され、室井は同年代でも一目置かれる存在となった。

 

人生を変えた、不合格通知

自チームのみならず、選抜チームでもその力を発揮していた室井。

 

 

当然その活躍ぶりは多くの指導者の目に留まり、中学3年に進級すると、複数のJクラブユースから、「ぜひうちのチームへ」とオファーが届いた。

 

 

「実はこの時、大宮アルディージャU-18も『2日間練習に来てほしい』と声をかけてくれて、トレーニングに参加をさせてもらったんですよ。横河のコーチからはもう受かったも同然くらいの話で送り出されたんですが、結果はまさかの不合格。それまでサッカーで“落ちる”ということを経験したことがなかったので、めちゃくちゃショックでした。ああ上には上がいて、自分は特別な選手ではないんだ、と思い知らされましたね」

 

 

生まれて初めての挫折。太鼓判を押された上での落選は、それまで積み上げていた自信をいとも簡単にへし折った。

 

 

 

このままの自分では、上の舞台で戦うことはできない──。

 

 

 

室井は届いていたユースチームからのオファーをすべて断り、自らの意志で高校サッカーの名門・前橋育英高校への進学を決めた。

 

 

3年間を支えた、2人の言葉

「ここから這い上がる」という覚悟で、東京を離れての新生活が始まった。

 

 

厳しい練習に上下関係、熾烈なチーム内での競争……。なかでも、兄から事前に聞いた毎週10km走は素走りが大の苦手だった室井にとっては最大の苦難だったが、自分で決めた道だと真摯に取り組んだ。

 

 

「入学したての頃はAチームに入ってリーグ戦でも3試合連続で点をとったりして、調子が良かったんですよ。でも、点が入らなくなると自信がなくなってプレーも消極的になってしまって、途中出場が増えて、メンバー外になるという流れが2年間続きました。2年生の全国高校サッカー選手権大会では、チームとしては優勝もしたけど、自分は決勝の舞台に立つことができなくて。しんどかったし、本当に悔しかったですね」

 

 

それでも腐らずにいられたのは、指揮官を務める山田耕介監督、そして史上初の選手権優勝を叶えたチームキャプテン・田部井涼の存在が大きかったと振り返る。

 

 

「山田監督がよく言ってくれていたのは『FWは10本シュートを打って、1本入ればいい』ということですね。3年生になってからは、多少無理をしてでも打とうと意識するようになって、ゴールに積極的に前向きなプレーが増えていきました。1個上の涼くんにもよく相談に乗ってもらっていたんですけど、ずっと『お前は絶対大丈夫だから』と励ましていてくれました。辛いことも多かったですけど、そのおかげで今があると思っています」

 

 

決して楽な道のりではなかった。

 

 

だが、この3年間は室井の選手キャリアにとってかけがえのない時間となった。

 

理想像は「なんでもできるFW」

前橋育英高校を卒業後、室井は大学へ進む。

 

 

4年間で取り組んだのは自分のプレースタイルの幅を広げること。

 

 

そのために、あえて「苦手」なポゼッションサッカーを志向する東洋大学を選んだ。

 

 

「興梠慎三選手(浦和レッズ)のようなスピードもあって自分で決めるし、キープ力もあって周りも生かせるような、なんでもできるFWになりたいなっていう理想はずっとあったんです。そのためにできないことをできるだけ減らしたいと思って、薦められた大学の中からいろいろ考えて選びました」

 

 

一方で、「もう後がない」という焦りもあった。

 

 

1年でリーグ戦に絡むことはできたものの、大学2、3年生になってゴールを取っても途中出場が続き、監督と口論になることもしばしば。

 

 

それでも、最後は自分の力不足に目を向け、足りないことを補うために、必死にもがき続けた。

 

その努力は実を結び、大学4年の6月、ついにJリーグクラブからのオファーを獲得。

 

 

奇しくも一番最初に声をかけられたのは、室井のサッカー人生を転換させるきっかけとなった、大宮アルディージャだった。

 

 

「高校生の時は、プリンスリーグでも大宮のU-18には絶対負けたくないという反骨心はありました(笑)。でも、声をかけてもらった時は素直に嬉しかったですね。何チームか練習参加の話ももらっていたんですが、早くJの舞台に立ちたい気持ちもあったので、すぐに大宮へ入ることを決めました」

 

 

内定発表から3カ月後の9月4日。

 

 

特別指定選手に登録された室井は、J2リーグ第34節ロアッソ熊本戦で、待望のJリーグデビューを飾った。

 

 

「すごく緊張しましたけど、一本だけ決定機があって決めきれなかったんですよ。それで結局、(髙橋)利樹くんにやられたっていう(笑)。ものすごく悔しかったことを覚えています」

 

 

ほろ苦い初戦となったが、プロ入りの切符を手にし、プレッシャーから解き放たれた室井は大学リーグでも好調を保ち22試合で13ゴールを決め、この年の関東大学サッカーリーグの得点王に輝いた。

 

 

待ちに待ったプロ1年目のシーズンでは、室井は開幕戦からメンバー入り。

 

 

夏以降には先発のポジションを勝ち取って、32試合4ゴールの成績を残した。

 

 

「自分の強みは通用するなという手応えは正直ありました。でも、チームとしては本当に苦しかった。開幕から3バックに取り組んでいたんですけど、前進できずに後ろが5枚になる時間が増えて、どうしても前線が孤立してしまって……。一生懸命守ってくれるのに、いいチャンスには繋がらない。自分がなんとかできればと感じていましたし、どうしたら勝てるのか、選手同士でもずっと話し合っていました」

 

 

シーズン途中から[4-4-2]に布陣を変更して巻き返しを図ったものの、大宮はJ3への降格が決定。

 

 

主力メンバーの去就が注目されるなか、熟考の末、室井は自らの成長のため、横浜FCへの移籍を決断した。

 

自分でもこれからが楽しみ

HAMABLUEのユニフォームに袖を通し、再びJ2で戦うことを決めた2024シーズン。

心機一転、キャンプ入りした室井だったが、開幕直前に負傷。

 

 

再発を繰り返したことでコンディション調整は想定以上に長引いた。

 

 

「今の横浜FCのフォーメーションはあまり馴染みがないですし、シャドーというポジションも自分にとっては新しいチャレンジでした。なので怪我をしている間も、(小川)慶治朗くんのプレーを見て勉強して、自分がピッチに立ったらどうするかをイメージしながら、早く試合に出たいなとずっと考えていました」

 

 

そして、6月12日に行われた天皇杯2回戦・ヴァンラーレ八戸戦。

 

 

延長戦に突入した109分、ゴール前中央での髙橋利樹の落としから豪快に決勝点を突き刺した。

「正直、めちゃくちゃホッとしましたね。やっと取れたぞって(笑)」

 

 

移籍後初ゴールを安堵の表情で振り返る室井だが、本当の見せ場はこれからだと意気込む。

 

 

「出足は遅れましたけど、今はコンディションもモチベーションもすごく高まっているので、自分でも楽しみです。憧れていた興梠選手や小林悠選手(川崎フロンターレ)に一歩でも近づいて、来シーズンはJ1で対戦できるように。残りのリーグ戦で得点を重ねて、J2優勝、そしてJ1昇格を叶えられるように、全力で戦います!」

 

 

 

「彗星のように光り輝く人生を」という願いが込められた名の如く。

 

 

 

きらめく弾道でネットを揺らす室井が、J1昇格、そしてJ2優勝への戦いをさらに熱く加速させる。

 

 

PROFILE

室井 彗佑/FW

東京都出身。2000年4月17日。170cm、65kg。地元の少年団でサッカーを始め、小学3年生で横河武蔵野FCジュニアに加入後、U-15までプレー。前橋育英高校に進学し、全日本高校サッカー選手権の舞台を3年連続で経験した。高校卒業後は東洋大学に進みFWとしての技術をさらに高め、4年生に進級した2022年6月に大宮アルディージャへの加入が内定。9月に特別指定選手としてJリーグデビューを飾り、同年の関東大学サッカー1部リーグでは13ゴールを決め、得点王に輝いた。プロ1年目の2023シーズンは開幕戦からメンバー入りを叶え、第30節のファジアーノ岡山戦でプロ初得点をマーク。32試合に出場し4ゴールを決め、今季横浜FCへ完全移籍加入を果たした。動き出しや足の速さを生かした推進力を持ち味とし、どんな形からでも1点を奪う得点力でスタジアムを沸かす。