横浜FC

取材=内田智也・文=内田智也・横浜FC

 

 

2022年、再び横浜FCユースの監督に就任した小野 信義。

 

クラブが創設された1999年から2005年まで横浜FCの初期時代を選手としても支えた。

現役の頃から、引退後は「サッカーに携わりたい」という想いがあった小野。

 

指導の道へ進むのは必然だったのかもしれない。

 

「選手と共に成長させてもらっている」

 

そのように語る小野のクラブへ対する想いを聞いた。

 

 

 

最終的にはアカデミーで育った選手たちと。

2015年から2019年までの5年間、ユースのコーチや監督として手腕を発揮。その後、2年間はジュニアユースの監督を経験し、指導者としての幅を広げた。

 

迎えた今季、小野は再びユースの監督を任されることとなった。

現在指導にあたるユース在籍の高校1・2年生は、小野がジュニアユースを指導していた頃に、手塩にかけて育ててきた選手達なのである。

小野自身、ジュニアユースから、ユースへと指導するカテゴリーが変わるということに大きな違和感はないという。

 

「横浜FCのアカデミーは、ジュニアユースもユースもスタッフ全員で見ている。どの選手がどんな過程をもって成長しているかだとか、この選手はこういう動きをするのだなとかなんとなく特徴は把握できています。直接指導するのは初めての選手もいるけれど、基本的にはみんな知っている子たちなので『初めまして』っていう感じはないです。特徴もわかっていますし、教えやすいです」

 

その言葉の通り、横浜FCフットボールアカデミーはキンダーからトップチームまで一貫した育成・指導理念のもと活動が行われている。

 

 

今季再びユースの監督として指揮を執ることについて、心境を聞いた。

 

「ジュニアユースとユースの監督を経験して、自分の中ではジュニアユースよりも、ひとつ上のカテゴリーであるユースで監督をやりたいという気持ちがありました。よりトップチームに近いユースの選手たちを指導して、それが今後へどう未来へ繋がっていくのか。この目で見てみたい」

 

 

 

ユースを指導したいという想いの背景には、二つの理由がある。

 

「ゆくゆくはトップチームをやってみたいなという目標が一つ。二つ目はジュニアユースの監督を経験して、試行錯誤をしてきた中で、自分の中ではやれることをやれたかなと感じています。2年のうちの1年はS級ライセンスの資格も取らせてもらいました。その経験も踏まえて、最終的にはアカデミーで育った選手たちと(トップチームで)やってみたいなという思いはあります」

 

すごく上手ではないけれどパワフルでダイナミックな今季のチーム。

横浜FCフットボールアカデミーが目指すスタイルは「攻守で主導権を握るアタッキングフットボール」だ。

 

その中で今季のユースの特徴、スタイルについて小野は、

「基本的にはボールを大事にしながら攻撃でも守備でも自分たちからアクションを起こしていこうというのはアカデミーのスタイルとして変わらないです。ただ、どっちかというとすごく上手ではないけれど、パワフルでダイナミックな子が多いことが今年のチームの特徴だと感じています。例えば身長が195cmくらいある子、あとは身体的に優れている子もいるのは今までの代だとあまりなかったような特徴です。」

 

 

リーグ開幕前の取材であったが、チームの仕上がり具合については、

「仕上がってはいないです(笑)。1月末から始動して、3月にはJヴィレッジカップという大会に参加しました。なんとなくこんな感じかなという手ごたえは感じていますが、仕上がりきってもないし、色々な課題はあります」

 

「けれど育成年代の選手達であるからこそ、1年間を通して最終的にはこれだけ良くなったという観点で選手達を見ていかなければと思います。指導者として勝ちたいという気持ちはもちろんあるけれど(笑)。」

 

「今年もトップチームの練習にユースの選手を呼んでもらっています。何名の選手がトップチームに昇格できるかはわからないけれど、最終的には隣の天然芝でプレーする選手が一人でも多く出てきてほしい。」

 

ユースは育成に重点を置きながら、結果を出さなければならず、難しい年代であることは容易に想像ができる。

 

そのバランスについては、「育成が何よりも大事」という考えはユース年代を指導するうえで最も大切にしている部分だ。

 

「(菊池彰人)アカデミーダイレクターとかシゲ(重田征紀ヘッドオブコーチ)から勝てとは言われないですし、『結果を出さなきゃいけない』の『結果』とは選手がトップチームへ昇格できる人数だと。ただ勝てないと選手がついてきてくれないとも感じています。自分が伝えたことが勝利や成長に繋がっていると選手達が感じてもらえるような信用度や空気感も大事にしています。」

 

――現役時代を知っているので負けず嫌いなイメージがあります。

「そうかな(笑)。自分はどっちかというとふざけているときの方が多いかな(笑)。締めるときは締めるけど、基本選手が躍動感を持ってやれるようにしたいと思っています。戦術的な面が最近のサッカーだと多く出ていますが、そっちに偏り過ぎないように考えています。選手の特徴が一番出せるようになるのか、次の大学4年間経由して挑戦できるものになるかなど、その辺は見極めないといけないと思っています。言われたことだけやっておけばいいという感じにならないようにすることは一番気を付けているかもしれません」

 

 

 

選手にとって力がつく一番の環境であるならここにいないといけない。

横浜FCユースは長年戦ってきたプリンスリーグから、2019年、ユース年代の最高峰である「高円宮杯プレミアリーグ」に初昇格を果たした。

 

3シーズン目を迎える今季。

 

「まずは降格しないように。日本のユース年代で一番高いレベルの環境ですし、自分たちがなにができるかっていうのを確かめるために、この舞台が選手にとっても力がつく一番の環境ならここにいないといけない」

 

その中で、「自分たちがやろうとしていることだったり、個人ができること、できないことを把握してすぐできるようになることが大事だよねということはスタッフ間でも話しています。と言いつつ勝ちたいんだけどね」と笑って話す小野から、現役当時と変わらぬ『負けず嫌い』の一面が垣間見れた。

 

「それに自分たちスタッフが思う以上に選手達は勝ちたいと思っている。そこは自分たちが勝たなくていいよとは言わないし、選手達は勝つためにプレーするし、そのなかで個人が特徴を出してほしい」

 

小野自身は、「自分が伝えた一言が選手に響いて、成長のきっかけになること」が指導者としての密かなやりがいだという。思ってもみなかった部分が伸びてきた瞬間に出会えることが「とても楽しい」とも話す。

 

「ジュニアユースだと技術的な変化など大きく感じますが、ユースだと技術的な伸びしろよりも頭の中の整理がされてくるという面で変化を感じます。選手たちが意図したプレーで相手と駆け引きをしたり、効果的なプレーをピッチの中で選択できるようになる瞬間がある。それが指導していて一番楽しいです」

 

目指すべき指導者としての姿と育成論。

 

今年で指導者として13年目になる小野。35歳で現役を引退し、紆余曲折ありながら、指導者としての道を歩んできた。

 

「はじめはニューウェーブ北九州(現:ギラヴァンツ北九州)で、その後ジェフユナイテッド市原・千葉に行って横浜FCに来ました。13年目になるのかな。シゲ(重田征紀ヘッドオブコーチ)は2歳下で、読売クラブの中学生の頃から一緒です。シゲの2つ下くらいがハヤ(早川知伸トップチームコーチ)。引退後は、「どのような形でサッカーに携わることができるのか」っていうことは常に考えていました」

 

 

特に指導者と決めていたわけではなく、スカパー!で試合の解説をするなど活動は多岐にわたった。

 

「引退してすぐはチヤホヤしてくれました(笑)。引退してすぐの2、3年は色々なことを経験させてもらって。今後を見据えた時に指導者かなと」

 

指導者としての忘れられない思い出やエピソードについて聞いてみると

「失敗したときの方が覚えています。うまくいったとき、もちろん勝って昇格したときも嬉しいですが失敗したときの方が印象的です。今でこそユースの監督になり、S級ライセンスも取得していますが、指導者を始めたばかりの頃はそんなことも考えられないくらい、自分は全然できないと感じるところからのスタートでした」

 

小野が影響を受けた指導者として、二人の名前が挙がった。

 

一人目は横浜FCで監督を務めた信藤 建仁氏。

当時、2-4-4という超攻撃的フォーメーションを掲げ、自分たちのスタイルを築き上げるという信念を貫いた監督である。

 

二人目は、ネルシーニョ氏。

国籍や年齢、これまでの実績に関係なく、選手を競争させ、チームを作り上げていくことに定評のある監督である。

 

どちらの監督にも共通しているのは、自身の哲学や信念を大切にしている部分。

 

ただその中で小野は、

「指導の現場が育成に移ってからは伝え方とか、サッカーだけではダメなことを伝えています。(指導は)結局は選手たちが自発的に動いてもらうってことだから、そのアクションに対して自分たちがそれに対する評価をしてあげなければいけない。選手の特性やパーソナリティを見ながら、指導を変えていく。そういった部分は現役時代も含め、色々な監督やコーチからの影響を受けています」

 

小野が指導していくうえで気をつけていることは「一つの正解」にならないようにすることだ。

 

「戦術と特徴のバランスだとか自分の指導が正しいと思いすぎないところ。その瞬間は正しいと思って伝えるんだけど、本当に合っているのかとあとで必ず振り返ったり、チーム戦術が優先されすぎて、個性が消えてしまわないように意識しています。伸び伸びプレーさせながら、締めるところは締めるという具合に」

 

 

歳を重ね、指導歴が長くなる中で、小野が気をつけている部分があるという。

 

それは、「年下の指導者の意見に積極的に耳を傾けること。」

 

「歳をとると指摘してくれることが少なくなる(笑)。だから聞くようにしている」

 

「小山さん、(田所)諒、あとは大卒2年目の佐藤幹太(アシスタントコーチ兼分析担当)に『どうだった今日のトレーニング?』とか『この場面どう思う?』とか動画を一緒に見ながら話しています。どうやって刺激を選手達にインプットするのかというところは、各々がやりやすい形でアプローチしてもらう。その環境作りが大事だと思います」

 

大人の学びは痛みを伴う。羽ばたく教え子たちへ。

今トップチームでプレーしているアカデミー出身の選手達の活躍やプレーをどう感じているのか。

 

「彼らが頑張ってくれていることで自分たちアカデミースタッフの評価へとつながる。活躍が嬉しいし、選手や、ファン・サポーター、強化部含めてアカデミーの試合へも足を運んでくれるのですごくありがたいです。いい環境ができているなぁと。」

 

「でもまだまだ(昇格する)人数はそんなに多くないと感じています。でも斉藤光毅が劇的に横浜FCのアカデミーの評価を変えた。これからは(齋藤) 功佑もそうだし、他の選手も活躍してもっと大きなクラブだったり世界に行って・・・・・・。あとは代表選手も出てきたらまた変わってくるのかな」

 

トップチームの試合は毎週チェックしている小野。やっぱりアカデミー出身の選手は気になるのか?

 

「(安永)玲央は、たまに何か言ってほしそうに、近づいてくるから、『もっとやれよ』って言っています」

 

「斉藤光毅とかは、逆にサッカー小僧でサッカーばかりだったから、人間性も含めて彼が成長して、世界に羽ばたいていって。逆に僕たちに色んなことを教えてくれました」

 

3年間ユースで指導した安永玲央については、

「横浜FCっておだやかな子が多いんだよね。玲央は川崎フロンターレのジュニアユースからきて、少しやんちゃな一面があった。違う血を入れてユースの中にまた新しい刺激が入るのもいいかなと、他のスタッフと話し合って彼を迎えいれることに決めた。しっかり練習もしていたし、いいんじゃないかって。そしたら、決まった3日後くらいから全然やらなくなって(笑)。半年くらいした後に、めちゃくちゃ怒ったことはありました(笑)」

 

小野曰く、ユース年代はどちらかというと精神面が変わってきてパフォーマンスがぐっとあがる選手たちが多いという。

 

「玲央はトップチームに昇格して、出場機会を求めて、期限付き移籍してカターレ富山へ行って。そこでも試合に出られなかった。どん底を味わう中で踏ん張れた。その時になにかを感じられた。大人の学びは痛みを伴うし、痛いことがあったときに成長できるんじゃないって思います。」

 

 

マイクラブ。

クラブ立ち上げ当初から横浜FCを支え、今もなおユースの監督としてクラブに携わる小野に、このクラブへの想いやクラブの成長について聞いた。

 

 

「このクラブへの想いは大きいし、マイクラブだって思っている」

 

「自分は小中高とプロ生活も含めて15年間くらい読売クラブにいたけど、もう今は横浜FCがマイクラブだと思っています。今はずいぶん環境とかも良くなってきたけど、自分たちのクラブはエリートじゃないってところからのスタートだったから。だからこそ自分たちは一生懸命、ハードワークしなくちゃいけないし、常に不屈の精神を持って成長意欲を持っていなきゃいけないと思います。環境が良くなってきたなかで、もうあと一歩二歩、J1とJ2のボーダーラインにいるけれど、段階があるとしたら中位からJ1の上位へ行くようなクラブになっていきたいなと」

 

クラブ設立当初は、土のグラウンドからのスタートだった。

 

「トンボを引いてましたよ。リトバルスキーがトンボ引いて、グラウンド整備している時代だった。だからこのクラブへの思い入れはすごくあるし、今はもう自分たちのグラウンドだったり、アカデミーにもグラウンドがあって。『こんなところまできたんだなあ』って。いつかは自分たちが日本サッカーのトップになれるようなクラブチームになって行きたいって思うよね」

 

そしてこう続けた。

 

「うちのアカデミーにくる子たちは、どこかで挫折だったり、悔しい思いをした選手が多い。その反骨精神を大切にしながら、一流になりたいとか、サッカーの世界で成長したいって思ってる子たち。うちのクラブはこういうところからのスタート」

 

 

最後に小野からアカデミー含め、横浜FCを支えてくださっている方々へ。

 

「本当にすごく感謝しています。自分がまだ25、6歳の頃に応援してくれていた人たちがまだスタジアムにいてくれて、ちっちゃなときから少しずつ成長してきたクラブを継続して応援してもらえることはすごくありがたいと思っています。アカデミーから育ってきた子どもたちのことも見てもらえるとすごくありがたいと感じています」

 

「あとは、ここから先クラブがもう一歩二歩成長した姿っていうのをやっぱり一緒に見続けてもらえたらなと。今後アカデミースタッフの誰かがトップチームの監督になるかもしれないし、アカデミーの選手達がトップチームへ昇格する人数が増えていくかもしれない。そんなことにワクワクしてほしいし、自分もしたいなと」

 

最終的にはトップチーム全員がアカデミー出身選手であることが理想か?と聞くと、

「それが理想だとは思わないけど、アカデミー出身選手がトップチームで活躍して、またそれを見て入りたいと思う子たちが増えていく。すごく質の高い子たちが、又そこから競争してっていう好循環になればいいなと。またその子たちが育って世界に行ってくれることが一番の理想かな。その上でクラブがJ1の中位以上を常に狙えて何年かに一度は優勝できたら。横浜FCのアカデミーだけで完結するのは難しいと思うから、やっぱり外部との競争とか刺激を。優秀な人たちが入ってきて、『やばいこのままだと』と感じることも必要。選手たちも、自分たち指導者も。」

 

 

 

今シーズンはここまで横浜FCユースから9名の2種選手の登録が発表されている。

 

これほどの2種選手の登録はこのクラブにおいて、過去に例を見ない。

 

長い年月をかけて、育ち始めた育成の「芽」。

 

クラブにとって大きな財産である彼らの未来は、小野を含めたアカデミースタッフに託されている。

 

ダイナミックでパワフルなスタイルを特徴とする今季の横浜FCユース。

 

プレミアリーグで躍動する選手、小野信義の采配からも目が離せない。

 

 

 

プロフィール

小野 信義(おの しんぎ)/ 横浜FCユース監督

1974年4月9日生まれ。

【取得ライセンス】

JFA公認S級ライセンス

【競技歴】
1987年~1989年読売ジュニアユース
1990年~1992年読売日本SCユース
1993年~1997年ヴェルディ川崎
1997年デンソー
1998年ガンバ大阪
1999年~2005年横浜FC
2006年~2009年ニューウェーブ北九州

【指導歴】
2006年~ニューウェーブ北九州トップチームコーチ
2010年~ニューウェーブ北九州アカデミーコーチ/アカデミーダイレクター
2013年~ジェフユナイテッド市原・千葉U-15コーチ
2015年~横浜FCジュニアユース監督
2016年~横浜FCユース監督
2020年~横浜FCU-15監督