横浜FC

CLUB HISTORY 横浜FCの歴史

2007

J1での戦い

希望と不安を胸に挑んだ初のJ1の舞台であったが、かんぷなきまでに叩きのめされることとなってしまった。昨年の守備的な戦いを踏襲しながら、新加入の元日本代表FW久保竜彦やMF奥大介らを中心に据え、レベルアップを図って挑んだ。開幕戦で久保がスーパーゴールを決め、さらに第2節横浜ダービーで勝利するなど、出だしこそ存在感を示したが、徐々に失速。最下位が定位置となり、10月20日第29節神戸戦でJ2降格が決定。再びJ1に戻ってくるためにはさらなるレベルアップが必要だということを、身をもって痛感させられた。

TOPICS
3.3 2007シーズンJ1リーグ開幕(対 浦和レッズ戦 横浜FC J1初ゴールは久保竜彦)
3.10 J1リーグ横浜ダービーの再開(対 横浜F・マリノス)1対0で横浜FCの勝利
8.4 三浦淳宏をヴィッセル神戸より獲得

2006

J2優勝

第1節でJ2に昇格したばかりの愛媛FCに敗れると、足達監督が解任となり、コーチだった高木琢也氏が監督に就任。波乱含みのスタートとなったが、その後、高木監督が卓越した指揮能力を発揮し、監督就任後15試合負けなしという快進撃を見せることとなった。原動力となったのは守備力だ。高木監督はゾーンディフェンスを植え付け、770分連続無失点というJ2記録を打ち立てた。F Wアレモンが加入すると、彼の得点力を生かしたカウンター攻撃を徹底。着実に勝ち点を重ね、J2優勝を果たし、念願のJ1への切符を手に入れた。

TOPICS
3.6 足達勇輔の解任により高木琢也が監督に就任
11.23 城彰二が現役引退を発表
11.27 2006シーズンJ2リーグ優勝が決定する J1昇格内定
12.4 2007シーズンJ1昇格が承認される

2005

KING KAZU 加入

12チーム中11位に終わったが、チームは大きな成長を見せ、翌年のJ1昇格の礎を築いた。指揮したのは足達勇輔監督。若手育成に定評のある指揮官は選手たちに厳しい練習を課し、成長を促した。一時は15試合勝利がないという状況に陥るものの、足達監督の下、前を向いて進んで行った。シーズン途中に元日本代表FW三浦知良やMF山口素弘が加入。彼らの経験が加わったことでチームは成熟味を帯び、天皇杯3回戦ではG大阪相手にPK戦に持ち込むという死闘を演じるまでに至った。横浜F C史上最も成長を遂げた1年であった。

TOPICS
2.25 クラブ事務所を横浜市金沢区幸浦に移転する
7.19 三浦知良をヴィッセル神戸より獲得
8.16 山口素弘をアルビレックス新潟より期限付きにて獲得

2004

平行線を辿る

2年連続の守備崩壊を立て直すためにリトバルスキー監督は徹底した守備意識を植え付け、シーズンに臨んだ。守備の要となったのはDFトゥイード。高さと強さとリーダーシップを発揮し、守備を統率。堅固な守備を構築した。開幕戦で仙台に4対0で勝利すると、その後も粘り強い戦いを見せ6試合負けなしという好スタートを切った。ただ、手堅い戦いのため引き分けが多く、勝ちきれない試合が続いたのも事実。シーズン44試合の半分に当たる22引き分けを記録したが、最後まで“負けない戦い”を続け、過去最高の8位となった。

TOPICS
7.1 GK菅野孝憲のフリーキックがそのまま得点となる。「88メートル」がリーグの最長シュート記録となる
11.23 眞中幹夫現役引退を発表
12.16 2005シーズンの監督に足達勇輔の就任が決定

2003

城彰二来る

再びリトバルスキー監督が指揮を執り、さらに元日本代表FW城彰二が加わるなど、万全な体制で挑んだシーズン。開幕戦で札幌に3対1で勝利し、幸先のいいスタートを切った。しかし、その後は守備の崩壊とけが人の続出で、波に乗り切ることができずに下位に低迷。昨年の81失点を上回る88失点を喫して11位で終わるという不完全燃焼の1年となった。しかし、GK菅野孝憲がレギュラーを確保し、MF内田智也やMF北村知隆といったその後のチームの中心となる若手の台頭があるなど収穫も見えた1年であった。

TOPICS
2.1 城彰二の加入を発表
6.8 城彰ニ J1/J2通算100ゴール達成
7.14 後藤義一 選手として復帰(〜2004年1月31日まで)
12.25 神野卓哉現役引退 強化担当に就任

2002

2-4-4システム

昨年から引き続き、信藤監督がチームを指揮。「超攻撃的サッカー」を掲げ、2-4-4システムという奇抜なフォーメーションで戦ったことで注目を集めた。チームは積極的に攻める姿勢を見せ、サポーターを沸かせるプレーを再三見せた。だが、攻撃に人数を割くばかりに守備が手薄となり、失点を重ねることに。最後まで攻守のバランスの悪さを立て直せず、リーグワーストの81失点を喫し、最下位に沈むこととなってしまった。ただ、結果こそ出なかったが、「攻撃的に戦う」という横浜FCの基盤を築いた1年であったことは間違いない。

TOPICS
1.13 ゴールキーパーコーチに田北雄気が就任
11.17 2002年J2リーグ全日程終了。J2リーグ12位  後藤義一現役引退 公文裕明現役引退
12.02 2003シーズン監督にリトバルスキー就任が決定

2001

Jリーグ加入

永井良和新監督に率いられ、3月10日平塚競技場で念願のJ2のピッチに立った横浜FC。開幕戦こそ0対1で敗れたが、第2節のホーム三ツ沢で行なわれた仙台戦、1点ビハインドで迎えた試合終了間際、眞中幹夫のミドルシュートで同点に追いつくと、延長戦で小野信義が相手の隙を突いてゴールを決め、J2初勝利を挙げる。その後、堅守速攻を基盤に健闘を見せたが、徐々に勢いが失われ、9月に永井監督が退任。信藤健仁新監督を迎えて再スタートを切った。最終的に12チーム中9位。1年目としてはまずまずの結果を残したと言えるだろう。

TOPICS
3.10 2001Jリーグ開幕。横浜FCのJ2リーグ初陣
3.17 横浜FCのJリーグ初勝利(対ベガルタ仙台戦)
10.01 2002シーズン横浜FCクラブメンバー募集開始

2000

JFL正会員へ

JFL正会員、そしてJリーグ準加盟チームとして2年目を迎えた横浜FC。J2昇格を目指して新たなスタートを切った。本田技研(現Honda FC)からGK水原大樹やMF田島宏晃が加入し、さらにチーム力が上がり、開幕から首位をキープ。エースストライカー有馬賢二が22試合で24点を決める大爆発を見せ、チームを牽引。他の追随を許さない破竹の勢いを見せて、リーグを席巻した。結果的に20勝2分で、リーグ2連覇を果たした横浜FC。無敗優勝という偉業を成し遂げ、文句なしでJ2昇格を決めることとなった。

TOPICS
4.16 2000年度 JFL開幕。正会員としてリーグ戦を戦う
11.5 JFL後期優勝。年間総合優勝
12.19 Jリーグ理事会にて横浜 FCのJリーグ入会が承認される。市民報告会開催

1999

JFL準会員へ

市民の力により立ち上げられた横浜FCは準会員としてJFLに参戦。元ドイツ代表のリトバルスキー氏を監督に招聘、さらに後藤義一や眞中幹夫といった経験豊富な選手を集めてチームは第一歩を踏み出した。横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)で行われた開幕戦には1万2千人以上の観客が集まり、横浜FCに熱い声援を送った。試合こそ2対2の引き分けに終わったが、その後は着実に白星を重ね、首位を独走。圧倒的な力の差を見せ付け、創設1年目ながらもJFL制覇を果たした。

TOPICS
1998.12.25 株式会社横浜フリエスポーツクラブの登記申請を行う
1.12 株式会社横浜フリエスポーツクラブの登記完了
3.5 日本サッカー協会は持ち回り理事会にて、横浜FCのJFL準会員加盟を正式承認
4.25 JFL第2節。横浜FC公式戦初陣
11.3 JFL年間総合優勝

2007

J1

4勝4分26敗

2006

J2

10勝15分19敗

2005

J2

10勝15分19敗

2004

J2

10勝22分12敗

2003

J2

10勝12分22敗

2002

J2

8勝11分25敗

2001

J2

15勝1分28敗

2000

JFL

20勝2分0敗

1999

JFL

18勝3分3敗