41歳になった中村俊輔は大きな決断を下す。
2019年7月、2年半在籍したジュビロ磐田を離れて横浜FCに完全移籍。2部チーム、シーズン途中での移籍というのはプロ23年目にしていずれも初めてのケースであった。
「何か打開したい、何か変えていきたいという思いが自分のなかにあった。41歳になって(現役引退までを)逆算するっていうわけでもないけど、時間が限られているのは事実。いかにその時間を有意義に使うかってことを考えて(移籍することを)選んだということ。
(メンバー争いを)生き抜いてゲームに出るという作業はやっぱり面白い。これが面白くなくなったら、ベテランという領域までサッカーはできないと思うから。自分のプレースタイルを変えてでも臨機応変にやる、ベテランとしての経験を活かす。そういうことを駆使して生き残っていく体験をしたかった」
課せられた役割がボランチという新境地。チームからの要求を踏まえながら自分なりの最適解を見つけていった。
「ボールにいっぱい触る、さばくというイメージじゃなかった。無理やり前を向かないで、ストッパーに返してでも横から攻めるというのが基本的にあったから。自分の持ち味や自分のプレーを出せないジレンマはあったけど、新鮮な気持ちでやることができた」
新鮮な気持ち――。試合に出る機会は限られていても、新たな環境にアジャストしていく作業に喜びを感じていた。そのうえで大きな存在となっていたのが、大ベテランのカズこと三浦知良だった。
同じチームになって初めてカズと同時出場を果たしたのが天皇杯3回戦の横浜ダービー(8月14日、対横浜F・マリノス)である。日本代表でジャマイカ代表と戦った2000年6月以来、19年ぶりの〝共演〟となった。
「カズさんはチームの決まりごとをしっかりとやる。(守備時に)ボールがないときでも、ずっと走っていた。監督の戦術、方針に合わせていこうとする意識がカズさんにあるから、息の長い選手になっているのかなと思うことができた。その意識が特別な選手に見えさせないし、逆にチームが良い意味で特別な選手として扱っていない。普通にチームの一員としてやっているから、ずっとKINGでいられるんじゃないかって」
チームのやり方に自分を合わせていく姿勢は自分でも心掛けてきたこと。カズの背中を通して〝これでいいんだ〟と確認できた。
「サッカーに対する情熱がないと、体も心も動かない。カズさんが先頭切ってやるから、カズさんが基準になる。そういうチームは強くなるし、そういう雰囲気に1人で持っていくことができる。それがカズさん」
第39節の東京ヴェルディ戦(10月27日)で6試合ぶりに先発し、豪快にミドルシュートを叩き込んで勝利に貢献する。ここから先発に定着して5連勝締めで13年ぶりとなるJ1昇格を決めた。
「最後にポンポンポンと勝っていく感じは面白かった。京都サンガに負けて(ヴェルディ戦から)自分だけじゃなくて他のポジションも入れ替わって、そういった選手たちも最後のチャンスだと思って必死にやる。人も戦術もチェンジしていくなかで、そこから生まれるパワーをうまく利用していった感があった」
臆することなく新しいチャレンジに踏み出した対価。新たな経験値を上積みすることができたのだった。
山もあれば谷もある。現役生活の終盤に入っても、それは同じであった。
J1に復帰した2020年シーズンは15位でフィニッシュ。シーズン通してわずか10試合の出場にとどまった。そして4チームがJ2に降格する2021年シーズンは最下位の20位で終わってしまう。
「ヴィッセル神戸に負けてJ2降格が決まったあの瞬間、ニッパツ三ツ沢球技場のピッチの上で、脱力感に襲われた。これまで肩にのし掛かっていたものがすべて流れていくような感じがした」
中村の出場数はわずかに12。シーズン通してゴール、アシストともにゼロはプロ25年目にして初めてのことだった。現役引退の文字も頭にチラついたのは確か。しかしシーズン終盤に続いたラスト数分間の出場機会によって、まだピッチで表現できることがあると思えた。
「43歳になってこれ以上現役を続けるのは〝もういいかな〟と考えた時期も正直あった。フィジカル的にきつくなったとかそんなことではなく、次のステップとして考えている指導者の道に行くタイミングがそろそろ来たのかなと思えたので。ただ試合に出て、短い時間であっても自分のプレーを示すことができた。ピッチに送り出されたら、ゴールに結びつけるためにどんなプレーが最適なのかを考えた。全体の秩序を保ちつつも、最後の5分、10分という時間になってくると味方だけじゃなくて相手もだいぶ疲れてきて〝ここが空いている〟〝ここが狙い目〟などと分かる。自分の感覚をプレーに落とし込んでチャンスになった部分もあった」
ラスト1年と決めて臨んだ2022年シーズン。
意気込みとは裏腹に、古傷の右足首の状態が悪化した。痛みは足首から腱にまで広がり、手術が必要と診断された。引退するシーズン後にやるのではなく、「元の自分の感覚に戻って現役を終える」ために診察から2日後にすぐメスを入れた。6月のことだった。
「手術をやって良かったと思った。完全に治るわけじゃないから痛いのは痛い。それでも1日に痛くない時間が増えるだけでポジティブになれる。痛くて眠れないということもなくなった」
懸命なリハビリを経て、リーグの最終盤に間に合った。試合前にJ1昇格が決まった第41節、ツエーゲン金沢とのホーム最終戦(10月16日)にベンチ入りし、途中出場を果たした。翌日にはチーム内にとどめていた現役引退も明らかになった。最終節アウェイでのロアッソ熊本戦(23日)で先発し、ラストマッチには多くの観衆が詰めかけた。
「絶対に引退試合みたいな雰囲気にはしたくなかった。だからみんなには〝俺のことなんてどうでもいいから絶対に勝つぞ〟と伝えた。だから俺も、みんなに負けないようなプレーをするだけだった」
走って、ボールを受けて、散らして、また走って。中村俊輔のプレーがそこにはあった。セットプレーから味方のシュートを呼び込んだ。スライディングで相手のチャンスを摘んだ。後半15分に交代を告げられると、四方から万雷の拍手が注がれた。
「26年間、粘れるだけ粘ってみた。右足首のこともあって、もう無理だろうっていうくらいまでやれたのは良かった。だから悔いなんてまったくない。昇格を2度、降格を1度味わったのは、これからの指導者人生を考えても凄くいい経験。J2は勝つことが多くて、J1になると負けることが多くて。まったく違うシーズンを送ることができたから。最後の数年間はほとんど試合に出られなかった。同じような立場の選手と一緒に時間を過ごせた経験も、指導者になって活きると思う。横浜FCはポテンシャルのあるクラブだと感じる。今度は指導者として貢献していければいい」
あらゆる経験を己の財産に。
フットボールの真髄を追求する中村俊輔の旅は続く。これからもずっと、ずっと――。
(取材・記事=二宮寿朗)
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