中村俊輔は、目に涙を浮かべていた。
2006年6月22日、ドイツワールドカップ、グループリーグ第3戦。ドルトムントにあるジグナル・イドゥナ・パルクで対峙したブラジル代表に1―4と完膚なきまでに叩きのめされ、試合後のピッチで体を震わせた中村の視線は宙をさまよった。
「自分の実力不足と不甲斐なさ。もうそれしかなかった」
日本はここまで1分け1敗。オーストラリア代表とのグループリーグ初戦は前半に相手GKとDFの間に落とそうとした中村のボールがミスを呼び込む先制ゴールとなったものの、終盤8分間に3点を奪われて逆転負けを喫し、続くクロアチア代表戦はチャンスを活かし切れずスコアレスドローに終わった。先に進むためには、2連勝して既にグループリーグ突破を決めているブラジルに対して是が非でも勝たなければならなかった。
ブラジルとは1年前のコンフェデレーションズカップで2-2と引き分けていた。だが本気になったブラジルは、手に負えなかった。玉田圭司の豪快なゴールで先制しながらも、スイッチを入れてくると日本の守備をあざ笑うかのごとく、ゴールネットを揺らしていく。
チームの責任は10番が背負うものだというのが中村のスタンス。だからこそ、初めてのワールドカップで突きつけられた現実を真正面から受け止めようとした。
「彼らはやっぱり文化として根づいているし、サッカーというものを熟知している。自分たちとの差を痛感させられただけでなく、これからどうやっていけば追いつけるんだろう、どうやっていけばこのブラジルに勝てるんだろうって。
アジア予選で勝っていくのと、南米予選、欧州予選で揉まれて勝っていくのとではまるで違う。どうやって(差を)少しでも埋めていくかと言ったら、海外で世界の選手と戦っていくなかで生き抜く術を身につけていかなきゃいけないと感じた。個の力をもっともっと伸ばさなきゃダメだ、と」
ワールドカップで結果こそ出なかったが、ジーコのもとで成長を遂げた4年間であったことは間違いなかった。
「先発メンバーを固定するというイメージを持っている人は多いかもしれないけど、自分にはない。1回ミスったらもう終わりぐらいの感覚だった。実際、監督とじっくり話をしたことなんて限られていたし、そのような接し方をしてくれたことで逆にいい緊張感があった」
ジーコにはただただ感謝しかなかった。中村が言葉を続ける。
「目に見えるものではないけど、ジーコの期待に応えたいと思ってやっていくなかで、信頼を感じるからこそ、やらなきゃいけない。いいプレーを続けて、結果を出し続けていかなきゃいけなかった。信頼関係を築くことはできたと思う。そのなかでプレーさせてもらえるというのは、選手としてとても幸せなことだった」
ジーコに認めてもらいたい。それが中村の大きなモチベーションになっていた。
あの悔しさの涙は、決意の波でもあった。
ドイツワールドカップを終えて迎えたスコットランドの名門セルティックでの2年目は、欧州にその名をとどろかせることになる。欧州CLグループリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦では直接FKで2戦連続のゴールを挙げる。
オールド・トラッフォードでの第1戦。ゴール右隅に鋭く曲げて落とした一撃に対し、GKエトヴィン・ファンデルサールは動けなかった。そしてホーム、セルティックパークに場所を移しての第2戦は、遠目のレンジから同じように右隅に決めてチームに勝利をもたらした。現行制度のCLで初めて決勝トーナメント進出を決め、それは伝説のゴールとして長く語り継がれることになる。
「CLの戦いはマンUに対してもそうだけど、パワーバランス的に言えばセルティックのほうが下であることがほとんど。それでもベタ引きせず、セルティックパークでは勝つこともできた。日本代表も世界のポジション的には同じことが言えるから、どこか照らし合わせながらプレーしていた。代表とセルティックではポジションも違うなかで、自分が消えないようにと心掛けていたし、もっとフォワードと連係しながらゴール前で怖い選手にならなきゃという思いもあった」
セルティックで求められる役割をこなしつつも、常に日本代表でのプレーをイメージすることを忘れなかった。
恩師の一人となるのが現役時代にマンチェスター・ユナイテッドなどでテクニシャンとして活躍した指揮官のゴードン・ストラカン。中村のプロ意識を高く評価した人でもある。あるときパブでケンカ沙汰を起こしてしまった選手に対して「ナカはその時間、まだ練習してるんだぞ!」と中村を引き合いに出して説教したというエピソードは有名だ。
常に選手たちを競わせてチームに緊張感を与えつつ、チームを一つにさせ、勝利に導いていくマネジメントであった。
「極端に言うなら、先生が前にならえと言ったら手を横に出したり、座ったりするタイプが多いのが欧州サッカーの世界。そういった選手にストラカンは罰を与える発想ではなくて、そういった選手をうまく引き込みながらやっていこうという考え方。選手たちもストラカンに人としての魅力があるからついていった。
紅白戦をやるときもレギュラーの最終ラインをAチームに、(レギュラーの)フォワードをBチームに入るとか混ぜてやっていた。それでも蓋を開けてみたら全然違うメンバーだったりする。サブに回る選手のメンタルのことも凄く考えていた。自分のポジションも、右から左に変わったりとか、マンネリにならないようにちょくちょく刺激を入れていくのもうまかった」
信頼関係にあった中村に対して要求が少なかったのは、ジーコにもストラカンにも共通していた。自分の感覚を大切にしてきたプレーヤーだったからこそ、高いプロ意識を持つ中村には見守るだけで良かったのかもしれない。
ストラカンは試合前にいつもこう声を掛けてきたそうだ。
「ナカ、ゲームを楽しんでこい」
信頼に応えたい――。ドイツワールドカップでの鬱憤を晴らすようにピッチで躍動し、リーグ2連覇を達成した2006~2007年シーズンにおいて中村はリーグMVPを受賞する。欧州のリーグにおいて日本人選手初となる快挙であった。
(第5回に続く)
(取材・記事=二宮寿朗)
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